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本堂は山の中腹にあって、石段を上ると大師堂、さらにその上に本堂がある。聖武天皇の勅願により行基が厄除けの薬師如来像を自ら彫って本尊としたと伝えられ、諸人の災厄を除く道場となった。この寺は、もとは女人禁制の道場であったため、弘法大師がこの寺で修行していた折、母の玉依御前がはるばる訪ねてきたが会えなかった。そこで大師は母のために一七日(一週間)滝に打たれ修行し、女人解禁の秘法を修め、晴れて母と対面できたという。母君はここで髪を切って出家した。以来、寺号を母養山恩山寺とした。
弘法大師が刻んだとされる本尊の釈迦如来像は、八十八カ所中ただ一つという涅槃像で、珍しい寝姿の仏像が祀られている。大師が白蛇と出合って開基したとの縁起から、もとは白蛇山・法林寺と号し、約3km離れた山麓にあった。長宗我部勢の兵火で焼失、土石流の影響もあり、正保年間(1644~48)現在の地に移された。安政6年(1859)、光明堂から発した火により、楼門を残して全焼。現在の本堂や大師堂などは明治時代に再建されたもの。のどかな田園の中にあるため、「田中の法輪さん」とよばれている。
標高691mの大山の中腹に伽藍を構え、地元の人たちに「おおやまさん」と呼ばれ親しまれている。源義経が戦勝祈願した寺とされ、弁慶お手植えと伝わる大イチョウの黄葉は見事。開運・縁結びの寺としても知られる。400年前より伝わる、力餅行事は有名である。経筒は重要文化財に指定されている。
延暦11年(792)、弘法大師が厄除祈願をしていると薬師如来が現れ、加持をするための水を求めて杖で掘ると乳白色の水が湧き上がり、その霊水で体を清め、薬師如来像を刻み本尊として安置したという。この水により人々が平等に救済されるようにと願いを込め寺号を付けた。本堂左手の井戸は、万病に効く「弘法の水」として崇められている。また、健脚に霊験あらたかで、ご利益を授かった参拝者が奉納した木製の車が、本堂に並べられている。本堂内の頭上には草花を描いた天井画が見事、一見の価値あり。
第二番札所極楽寺の駐車場には団体の納経所も兼ねた遍路用品店長寿庵が建っている。
遍路道からも目立っているのが、岡上神社にある楠。昭和48年(1973)に「岡の宮の大クス」として天然記念物に指定された高さ35m、根周25mの巨木で、枝が40mにも広がっている。
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