
筥崎宮
延長元年(923)に醍醐天皇が建立したといわれ、宇佐、石清水と並び日本三大八幡宮のひとつとも言われる。玄界灘に面した石造りの一の鳥居やどっしりとした楼門、本殿、拝殿、石灯籠は国指定重要文化財。玉せせり、放生会など祭事も多い。毎年1月3日に行われる「玉取祭(玉せせり)」は、悪事災難をのがれ、幸運を授かるといわれる玉をめぐって競り子たちが争奪戦を繰り広げる有名な奇祭。
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延長元年(923)に醍醐天皇が建立したといわれ、宇佐、石清水と並び日本三大八幡宮のひとつとも言われる。玄界灘に面した石造りの一の鳥居やどっしりとした楼門、本殿、拝殿、石灯籠は国指定重要文化財。玉せせり、放生会など祭事も多い。毎年1月3日に行われる「玉取祭(玉せせり)」は、悪事災難をのがれ、幸運を授かるといわれる玉をめぐって競り子たちが争奪戦を繰り広げる有名な奇祭。
太宰府市民でも知る人ぞ知る小さな神社だが、全国に信者がおり篤く支持されている。ここでぜひお参りしたいのが本殿奥の磐座。うっそうとした森の中に積み重なる巨石群は圧倒的な存在感を放ち、実に神秘的。太古からの祈りが感じられる空間だ。古くは九州三大稲荷の一つにも数えられ、霊験あらたかとして幕末期には三条実美公が、また近代には横綱千代の山も祈願成就に参詣している。初午大祭は旧暦初午に近い日曜に、秋季大祭は毎年11月23日に行う。
天智天皇が母・斉明天皇の冥福を祈って発願したが、80年もの歳月を費やし、天平18年(746)完成。当時は西日本最大の大寺院であった。宝蔵では平安~鎌倉時代の仏像(重要文化財)などを公開している。
全国にある水天宮の総本宮。安徳天皇の生母・高倉平中宮[たかくらたいらのちゅうぐう]に仕えた按察使局[あぜちのつぼね]伊勢が、壇ノ浦の合戦で滅亡した平家の霊を弔うために祀ったのが始まり。安産、子授け、水難除け、子どもの守護神として知られる。
仁徳天皇78年(390)鎮座、社殿創建は履中天皇元年(400)と伝わる古社。延喜式内名神大社・筑後国一の宮など、古代から高い格式を誇る。久留米藩主・有馬家寄進の現在の社殿と石造大鳥居、伝来の覚一本平家物語は国の重要文化財、高良山神籠石は国の史跡に指定。久留米市街を一望する眺望、夜景は筑後随一の美しさとも。
大同元年(806)に天台宗の寺として伝教[でんきょう]大師によって開山され、変遷を経て、現在真言宗大覚寺派の寺。本尊の薬師如来坐像(重要文化財)は伝教大師の作といわれる。毎年4月8日にはお釈迦さまの生誕を祝う「花まつり」が行われ、屋根を花で飾った花御堂の中に釈尊像が安置される。
浄土宗の大本山の一つ。13世紀初頭に聖光上人によって開山した。鐘堂は寛政3年(1791)に建築された。梵鐘は江戸時代の鋳造で、県の重要文化財に指定されている。
秋月城跡にある黒門の石段を登りつめたところにある神社。創建は安政6年(1859)で、黒田長興が祭られている。
今から約300年ほど前、江戸の参勤交代に赴いて大病を患った黒田家の家臣が、江戸(東京)芝白金町にある松秀寺の日限地蔵尊を詣って一命をとりとめたところから、御分身をいただいて祀ったのが始まり。境内から秋月を一望できる。
筑前立花城の麓にあった梅岳寺を前身とする立花家の菩提寺である。天正15年(1587)に、柳川に移された。寛文9年(1669)柳川藩の三代藩主・立花鑑虎が曹洞宗の旧寺から、臨済宗黄檗宗派の寺院とし、寺名も改めて梅嶽山福厳寺とした。本堂背後には、歴代藩主の墓所である御霊屋[おたまや]があり、本堂前には柳川城址から移された板碑や六地蔵が立つ。作家の長谷健と檀一雄の墓があるが、芥川賞と直木賞作家が同一墓地に立つ所は地方ではほかに例がない。
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