
福岡市赤煉瓦文化館
明治42年(1909)、日本生命保険株式会社九州支店の社屋として建てられた赤レンガの建物。東京駅を設計した辰野金吾らの設計で、国の重要文化財に指定されている。1階はエンジニアカフェおよび喫茶室、2階は有料の会議室。大理石の玄関や照明器具、カーテンは建築当時の仕様に復元。夜にはライトアップされる。所要15分。
- 「天神駅」から徒歩7分/「中洲川端駅」から徒歩7分
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明治42年(1909)、日本生命保険株式会社九州支店の社屋として建てられた赤レンガの建物。東京駅を設計した辰野金吾らの設計で、国の重要文化財に指定されている。1階はエンジニアカフェおよび喫茶室、2階は有料の会議室。大理石の玄関や照明器具、カーテンは建築当時の仕様に復元。夜にはライトアップされる。所要15分。
大宰府の北の守りとして築かれた大野城跡。天智4年(665)、朝鮮半島から渡来した技術者の指導で約8kmにわたる土塁や石垣で山や谷を囲み、その中に建物を造ったとされる。現在、倉庫跡と思われる約70棟分の礎石が点在している。
慶長7年(1602)から7年の歳月をかけ細川忠興により築城された小倉城。4階よりも5階の方が大きい「唐造り」が特徴。失火や戦闘により焼失した後、昭和34年(1959)に再建された福岡県内では唯一の天守閣。高さは全国6位、1階の床面積も最大級で、国内では3番目の大きさを誇る。天守閣内はエレベーター完備。様々な展示やアトラクションを楽しみながら小倉藩の歴史が学べる。最上階は地元の有名カフェが出店するキャッスルカフェとなっている。縁の深い武将が登場する「小倉城武将隊」も大人気。
明治時代のフレンチルネッサンスを基調とした国指定の重要文化財。大理石の暖炉や瀟洒なレリーフが設けられ、来賓を接待しての夜会が催されていた華やかな時代を今に伝える建物だ。各室とも意匠が凝ってあり、見ごたえたっぷり。
バナナの叩き売りは大正時代に、九州の大都会であり貿易港として栄えていた門司で発祥したと言われている。現在は、観光地である門司港レトロ地区を代表する伝統芸能として親しまれていて、週末や、イベント・地域の祭りなどでバナナの叩き売りの懐かしく威勢のよい口上を聞く事ができる。
門司港レトロ地区にある、八角形の塔屋が目を引く大正時代の建物。大陸航路の待合室的存在だった。1階はわたせせいぞうギャラリーおよび、門司港デザインハウスとなっている。
大宰府は、九州の「管内統括」、外国に対する「防衛機能」、帰化や外国使節に対応する「対外機能」という3つの役割をもつ、古代最大級の地方官衙[かんが](役所)。ここはその中枢で、広大な敷地に並ぶ礎石が当時の繁栄ぶりを物語る。現在は史跡として整備され市民の憩いの場。発掘で出土した遺構を保存公開する大宰府展示館も隣接している。平成27年(2015)に認定された日本遺産”古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点~”の構成文化財の1つでもある。国指定特別史跡。
門司の国道3号沿いに立つ銀行。かつて世界三大銀行の一つに数えられた旧横浜正金銀行の門司支店として昭和9年(1934)に建設。英国風古典主義のデザインでまとめられ、正面玄関の2本の円柱が印象的だ。現在北九州銀行門司支店として使われているため、見学は外観のみ。
陸軍第十二師団軍医部長として小倉に赴任した森鴎外が、明治32年(1899)から約1年半を過ごした家。書斎をはじめ、居間や台所など、当時の生活風景を再現している。旧居には代表的な著書や生い立ちを紹介した年譜を展示。ここでアンデルセンの『即興詩人』の翻訳を完成させたほか、小説『鶏』の舞台となった地としても知られ、表庭には小説に登場するキョウチクトウやシロサルスベリが茂る。所要15分。※森鴎外の「おう」の字は正式には區+鳥。
国指定史跡の津屋崎古墳群の中でも、最も多くの古墳が集中している古墳群。現在は水田となっているかつての入海に面した台地上に5世紀から6世紀にかけて築かれた前方後円墳5基、方墳1基、円墳35基の計41基の古墳が築かれている。古墳群南側の展望所からは、田んぼの中に点在する古墳と宗像大社中津宮が鎮座する大島と沖ノ島へと続く海を一望することができる。沖ノ島への信仰を育んだ古代豪族・宗像氏の存在を証明する墳墓群として、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産として世界遺産に登録された。
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