
泊外人墓地
沖縄を交易や布教の目的などで訪れ、この地で没した外国人の眠る墓石が芝生の中に整然と並ぶ。墓地の一角には、嘉永6年(1853)の浦賀来航の3カ月前にこの地を訪れていたペリー提督の上陸記念碑が立っている。
- 「美栄橋駅」から徒歩14分/「県庁前(沖縄)駅」から徒歩24分
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沖縄を交易や布教の目的などで訪れ、この地で没した外国人の眠る墓石が芝生の中に整然と並ぶ。墓地の一角には、嘉永6年(1853)の浦賀来航の3カ月前にこの地を訪れていたペリー提督の上陸記念碑が立っている。
昭和11年(1936)に「招魂社」として創建され、昭和15年(1940)に「沖縄県護国神社」と改称。日清・日露戦争以降に国難に殉ぜられた英霊をお祀りしている。那覇市の奥武山公園の中心に鎮座する神社は、初詣には26万人の参拝者で賑わう。那覇空港から北向きに車で10分、右手の大きな鳥居が目印。
ハーレーや大綱引などの祭祀が執り行われる拝所。お堂の中には自然の石筍が祀られている。「意地ぬ出じらぁ手引き 手ぬ出じらぁ意地引き(腹が立ったら手を出さないようにし、手が出そうになったら心を鎮めなさい)」という黄金言葉(格言)の舞台としても有名。
波上宮の南隣に立つ沖縄に現存する最古の寺で、応安元年(1368)琉球国王察度により祈願寺として創建され栄えた。境内には、弘化3年(1846)キリスト教伝導のために来島した宣教師兼医者のベッテルハイム記念碑が立つ。伝導を許されなかったため、熱心に医療活動を行った。住民からは「波之上の眼鏡」と呼ばれ親しまれていた。
明応2年(1494)、第二尚氏の第3代尚真王[しょうしんおう]によって3年かけて造られた第二尚氏王家の菩提寺。鎌倉の円覚寺を模して建てられたもので、かつて広い寺域には総門、放生橋(国指定重要文化財)、山門、仏殿、龍淵殿が一直線に並び、優美な姿を誇っていたという。先の沖縄戦で破壊され、現在は総門とその両側の石垣、右脇門、放生池が復元された。放生橋は往時のもので沖縄最古の石橋であり、獅子や鶴亀、牡丹などが彫られている。その緻密で豪放なレリーフは、沖縄石彫美術の最高峰と謳われるほどだ。
那覇港と那覇泊港の間、海岸沿いの断崖上に立つ琉球八社の一つで、最上位に位置する。熊野三所権現を祀り、琉球王朝時代から海上交通の安全、豊漁、豊穣などの信仰を集め、篤い尊崇を受けてきた。市民からは「なんみんさん」の名でもよび親しまれ、お正月や節分、5月17日の例大祭は多くの参拝者で賑わう。
普天満宮は別称普天満権現といい、琉球八社の一つ。創建については洞窟に琉球古神道神を祀ったことに始まり、宝徳2年(1450)頃に熊野権現を合祀したと伝えられる。御祭神は熊野三神、天照大御神、家都御子神[けつみこのかみ]、琉球古神道神で、むすびの神として篤く信仰されている。例大祭は旧暦9月15日。
長禄3年(1459)、琉球王国の尚泰久王[しょうたいきゅうおう]により住民の祈願所として建立された。創建時は、神仏習合のために普天満宮とともに建立されていたが、明治の廃仏毀釈で分離、現在に至る。旧暦9月9日に行われる「観音祭」は、琉球王国時代から続く秋の風物詩として知られる。
桃林寺に隣接して立つ。慶長19年(1614)創建。明和8年(1771)の明和大津波で流潰したが、天明6年(1786)に再建された。国の重要文化財に指定されている。石垣を巡らした境内には表門、拝殿、神殿が一直線上に配置されている。
南大東島の開拓者、玉置半右衛門が天照大神を奉安して造営した島の氏神様。古木がうっそうと茂る境内は、ダイトウコノハズク、ダイトウビロウなど南大東島特有の動植物の宝庫だ。夜は国の天然記念物である日本一大きなコウモリ、ダイトウオオコウモリも飛び回る。毎年9月22・23日に島随一の祭、豊年祭が催され、江戸相撲・沖縄角力[かくりき]が奉納される。
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