
南ヌ窯
陶器と喫茶「南窯」裏手にあり、今までに数多くの名品を生み出してきた荒焼[あらやち]用の登り窯。地形の傾斜を利用して造られたかまぼこ型の窯で、壺屋地区に窯場が集められた頃に琉球王府から賜った拝領窯といわれている。現在は閉窯しているが見学可能。昭和48年(1973)沖縄県文化財指定。窯を覆うようにかけられた赤瓦屋根のなだらかな曲線が印象的。
- 「牧志駅」から徒歩8分/「安里駅」から徒歩10分
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陶器と喫茶「南窯」裏手にあり、今までに数多くの名品を生み出してきた荒焼[あらやち]用の登り窯。地形の傾斜を利用して造られたかまぼこ型の窯で、壺屋地区に窯場が集められた頃に琉球王府から賜った拝領窯といわれている。現在は閉窯しているが見学可能。昭和48年(1973)沖縄県文化財指定。窯を覆うようにかけられた赤瓦屋根のなだらかな曲線が印象的。
守礼門近くにある琉球石灰岩で造られた石門。門の造りだが人が通る門ではなく、あくまで礼拝用。琉球国王が外出する際に、道中の安泰を門の向こうの神に祈願したという。尚真王[しょうしんおう]時代の1519年の建造で、沖縄戦で一部破壊されたが昭和32年(1957)に復元。国指定重要文化財であり、平成12年(2000)には世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産の一つに登録された。
約1600坪もの敷地内に、トーシー墓(当世墓)と4つのシルシラシ墓がある沖縄県最大級の共同墓。「門中」とは父系の血縁集団のことで、2つの門中の子孫は現在約5000人とも言われている。
平和祈念公園の中にある刻銘碑。平成7年(1995)に太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して、沖縄戦犠牲者すべての名を刻んだもの。沖縄戦最初の米軍上陸地、座間味村阿嘉島で採取した火と、広島市の「平和の灯」と長崎市の「誓いの火」を合火した「平和の火」を中心に、扇状に刻銘碑が広がる。メイン園路は6月23日の慰霊の日の日の出方向に向かって延びていて、平和への道のりを表わしている。
琉球石灰岩でできた三連アーチ型の門。70m近くにわたる重厚な石門は、切石布積みで造られたもの。国重要文化財にも指定されている。門の内部は境内で、かつては琉球王国の歴代の尚[しょう]氏王統の霊を祭る崇元寺があったが、沖縄戦によって全壊した。
文亀元年(1501)、尚真[しょうしん]王により父尚円[しょうえん]王の遺骨を移葬するために建てられた第二尚氏歴代国王の墓。首里城の西側に位置する壮大な石造建築物。板葺き屋根の宮殿を模した切妻屋根型の墓室が東室・中室・西室の3基連なり、東室には国王、王妃の遺骨、西室には王族の遺骨、中室には洗骨前の遺骸を安置したとされる。
「ひめゆりの塔」は沖縄戦で亡くなったひめゆり学徒のための慰霊碑。米軍の攻撃によりたくさんの生徒が亡くなった伊原第三外科壕のそばに建てられた。併設のひめゆり平和祈念資料館は沖縄戦でのひめゆり学徒隊の体験を伝える資料館。生存者の映像や手記、壕の実物大模型などを通して戦場の様子を知り、戦争や平和について学ぶことができる。
旧海軍司令部壕は昭和19年(1944)に日本兵3000人によって掘られた旧海軍の司令基地で、現在は空港からもっとも近い戦跡地として整備公開されている。鍬やツルハシなどを使い手作業にて5か月間で掘った地下壕が当時のまま残されており、地下20mまで下りたその先には、司令官室、幕僚室など300mに渡り歩いて見ることができる。また資料館では壕内で発掘された遺品や兵士が家族に宛てた手紙が閲覧できるほか、年表や写真で沖縄戦について学ぶことができる。毎週金曜日は前日までの予約で実施可能な無料ガイドツアーもあり。
平和祈念公園内。沖縄戦最後の激戦地となった摩文仁の丘周辺には、その悲劇と恐怖の時代を忘れないよう、多くの慰霊碑が立ち並ぶ。丘の上には、各地に安置されていた戦没者の遺骨を納骨合祀した国立沖縄戦没者墓苑や各県の慰霊塔の碑があり、摩文仁の丘の麓には、平和・友情・師弟愛の思いを込めて建てられた3人の少年の像が立つ。そのすぐそばにあるのが沖縄師範健児之塔。沖縄戦で戦死した沖縄師範学校男子部289名と、学校長ほか職員17名が祀られている。黎明之塔は第32軍司令官・牛島満中将と軍参謀長・長勇[ちょういさむ]中将が、その最後までこもっていたという第32軍司令部壕の上に立つ。
浦添グスク北側崖下にある、琉球王国初期の王陵。13世紀に英祖[えいそ]王が築いたとされ、その後元和6年(1620)に浦添出身の尚寧[しょうねい]王が改修した。向かって右側が英祖王、左側が尚寧王の墓といわれている。戦争で崩壊したが平成17年(2005)に復元が完了。浦添グスク・ようどれ館(時間:9~17時、休み:月曜(祝日の場合は開館)、年末年始、料金:100円)には、英祖王陵の内部が実物大で再現されており、浦添グスクと浦添ようどれの歴史が映像ソフトによる説明とパネルで展示されている。「ようどれ」とは琉球語の夕凪。2019年5月には『琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な「琉球料理」と「泡盛」、そして「芸能」』と、ストーリーを構成する文化財29件が日本遺産に認定された。
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