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多良間神社の入口から100mほど東にある、土原豊見親春源[うんたばるとぅゆみやしゅんげん]の墓。アーチ門のある石垣で囲まれた石積みの墓で、その形は沖縄で野辺送りのときに死者を運ぶ龕と呼ばれる葬具に似ている。西側の墓碑には7代目の子孫「春遊」が土原豊見親の偉業を称え、周辺を整備したと記されている。造営は18世紀初頭。この島に流刑にされた心海上人の手によってなされたものと考えられている。
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多良間神社の入口から100mほど東にある、土原豊見親春源[うんたばるとぅゆみやしゅんげん]の墓。アーチ門のある石垣で囲まれた石積みの墓で、その形は沖縄で野辺送りのときに死者を運ぶ龕と呼ばれる葬具に似ている。西側の墓碑には7代目の子孫「春遊」が土原豊見親の偉業を称え、周辺を整備したと記されている。造営は18世紀初頭。この島に流刑にされた心海上人の手によってなされたものと考えられている。
遠浅の海に伸びる、長さ354mの桟橋は、満潮時には海の上を歩いているような気分になれる。目の前には石垣島や西表島を望むことができる。人も少なく静かなので、サイクリングの途中に立ち寄ってのんびりと過ごそう。平成17年(2005)に登録有形文化財に指定されている。
昭和62年(1987)、国の伝統的建造物群保存地区に指定。ハイビスカスが咲き、サンゴを積み上げた石垣に囲まれた家の伝統的な赤瓦と白砂の道が美しいコントラストを見せる集落は、昔ながらの景観を残している。
旧番所跡の黒島ビジターセンター裏手にある、琉球石灰岩を積み上げた人工の小高い丘のこと。プズマリとは、琉球王朝時代に海上の監視に使われた烽火台のことで、遠見番役(見張り)が船を見つけると狼火を上げて西表島や石垣島に合図を送ったとされる。遠見台やタカムイ(高盛)ともいう。石灰石が老朽化してきており足元が危ないため、登ることは禁止になっている。国の史跡に指定されている。
西表島の西側、船浮集落は船でしか行くことのできない陸の孤島。石垣島からの定期船が着く上原港からレンタカー、または路線バスで島の周囲を走る半周道路の最西端にある白浜港へ行き、ここからさらに船浮海運の定期船(往復960円)に乗って約10分、穏やかな入り江の奥に船浮集落は存在する。イリオモテヤマネコはここで初めて捕獲された。
その存在を全国にとどろかせる与那国島の海底遺跡。かつての文明の遺構とも、自然の造形物ともいわれるが、真偽の程は未だ明らかになっていない。ならば実際に潜って自身の目で確かめてみては。スキューバダイビングで潜るのは大変でも、半潜水艇なら、普段着のままで大丈夫だ。与那国島の海は透明度が高いため、ガラス越しに見る海底遺跡はあたかも自分が潜っているかのよう。海底遺跡行半潜水艇は要予約。
北緯24度の石垣島には、国立天文台の観測研究施設の一つである石垣島天文台があり、一般公開を行っている。土・日曜、祝日の夜に行われる、九州・沖縄で最大のむりかぶし望遠鏡を使った天体観望会(要電話予約)は好評だ。
波照間の人々は太平洋戦争末期、西表島の南風見田の浜へ強制疎開させられた。そして多くの人々がマラリアで命を落とした。慰霊碑はこの時に命を落とした子供達の霊をなぐさめ、この悲劇を繰り返すまいと建てられたものだ。
日本の最も西の果てにある西崎の岬。日本で一番最後に夕日が沈むのがこの地だ。展望台から見る日本で一番遅い夕日は与那国に来たら必見。与那国町観光協会では、最西端に来た証明書を発行している。この「日本最西端の証」は1部500円。観光協会以外では、生活雑貨の店ふく、オネ・マヒナ、米浜レンタカー(空港案内所)、アイランドホテル与那国、漁協空港売店、観光協会事務所(空港案内所)、民宿もすらのたまご、ひだまり工房でも発行してくれる。
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