
竹富島の集落
昭和62年(1987)、国の伝統的建造物群保存地区に指定。ハイビスカスが咲き、サンゴを積み上げた石垣に囲まれた家の伝統的な赤瓦と白砂の道が美しいコントラストを見せる集落は、昔ながらの景観を残している。
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昭和62年(1987)、国の伝統的建造物群保存地区に指定。ハイビスカスが咲き、サンゴを積み上げた石垣に囲まれた家の伝統的な赤瓦と白砂の道が美しいコントラストを見せる集落は、昔ながらの景観を残している。
西表島の西側、船浮集落は船でしか行くことのできない陸の孤島。石垣島からの定期船が着く上原港からレンタカー、または路線バスで島の周囲を走る半周道路の最西端にある白浜港へ行き、ここからさらに船浮海運の定期船(往復960円)に乗って約10分、穏やかな入り江の奥に船浮集落は存在する。イリオモテヤマネコはここで初めて捕獲された。
遠浅の海に伸びる、長さ354mの桟橋は、満潮時には海の上を歩いているような気分になれる。目の前には石垣島や西表島を望むことができる。人も少なく静かなので、サイクリングの途中に立ち寄ってのんびりと過ごそう。平成17年(2005)に登録有形文化財に指定されている。
台湾の蘇澳[すおう]まで約111kmという、日本最西端の国境の島。断崖絶壁に囲まれた絶海の孤島ゆえ、昔は呼び名のドゥナンに「渡難」とあてる程だった。久部良[くぶら]港のカジキ漁や、アルコール度数の高い花酒、ポニーよりも小柄な与那国馬[よなぐにうま]が有名。近年は、海底遺跡が伝説のムー大陸の神殿跡ではないかと話題をよんでいる。ドラマ『Dr.コトー診療所』のオープンセットも見どころ。毎年7月の第1金曜~日曜にかけては国際カジキ釣り大会、11月には島一周マラソン大会を開催している。
波照間の人々は太平洋戦争末期、西表島の南風見田の浜へ強制疎開させられた。そして多くの人々がマラリアで命を落とした。慰霊碑はこの時に命を落とした子供達の霊をなぐさめ、この悲劇を繰り返すまいと建てられたものだ。
日本の最も西の果てにある西崎の岬。日本で一番最後に夕日が沈むのがこの地だ。展望台から見る日本で一番遅い夕日は与那国に来たら必見。与那国町観光協会では、最西端に来た証明書を発行している。この「日本最西端の証」は1部500円。観光協会以外では、生活雑貨の店ふく、オネ・マヒナ、米浜レンタカー(空港案内所)、アイランドホテル与那国、漁協空港売店、観光協会事務所(空港案内所)、民宿もすらのたまご、ひだまり工房でも発行してくれる。
琉球王朝時代、王府が冠船の航路にある各離島に命じて造らせた火番所(烽火台)の遺構。琉球石灰岩で組み上げられた美しい形をしたコート盛は、創建当時のままの姿だといわれている。ここから海上を行く船を見張り、西表の南風番所に狼煙[のろし]をあげて知らせたという。
旧番所跡の黒島ビジターセンター裏手にある、琉球石灰岩を積み上げた人工の小高い丘のこと。プズマリとは、琉球王朝時代に海上の監視に使われた烽火台のことで、遠見番役(見張り)が船を見つけると狼火を上げて西表島や石垣島に合図を送ったとされる。遠見台やタカムイ(高盛)ともいう。石灰石が老朽化してきており足元が危ないため、登ることは禁止になっている。国の史跡に指定されている。
一周道路を少し外れた森の中にある。本土復帰を記念して島民により整備された一帯は下田原城とよばれる城跡で、石組みの城壁が残っている。また近くには下田原貝塚や大泊貝塚もあり、島の古代史を今に伝える重要な場所となっている。
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