高良家住宅
高良家は船頭主屋[しんどうしゅーやー]と呼ばれる旧家。琉球王朝末期に建てられた寄棟造で、サンゴを相方積み技法で軒高まで積み上げた石垣や、ヒンプンなどに風格が残る。屋根は大正時代に茅葺きから赤瓦にふきかえられた。主屋には畳敷きの一・二番座と、板敷きの三番座と裏座の6部屋があり、炊事場も主屋内にある沖縄離島の古民家では珍しい造り。
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高良家は船頭主屋[しんどうしゅーやー]と呼ばれる旧家。琉球王朝末期に建てられた寄棟造で、サンゴを相方積み技法で軒高まで積み上げた石垣や、ヒンプンなどに風格が残る。屋根は大正時代に茅葺きから赤瓦にふきかえられた。主屋には畳敷きの一・二番座と、板敷きの三番座と裏座の6部屋があり、炊事場も主屋内にある沖縄離島の古民家では珍しい造り。
石垣島の南西に位置する観音崎に立つ、極彩色の中国風屋根飾りが目を引く墓。西欧諸国が、中国からいわゆる労働者として多くの苦力[くーりー]を自国に送っていた産業革命時代、福建省出身の苦力たちは船旅の途中、船員たちからひどい虐待を受け船内で暴動を起こしたため、石垣島に強制下船させられた。彼らはその後派遣された英国軍により、殺害されたり捕虜となった。石垣の人々は熱心に彼らを助けようとしたが、疫病の流行もあり彼らの多くは命を落としてしまう。異国で果てた彼らを慰めようと作ったのが、唐人墓の始まり。現在の唐人墓は昭和46年(1971)、周辺にいくつもあった唐人墓の遺骨をまとめて作られたもの。
文政2年(1819)、宮良間切の頭職だった宮良親雲上當演[ぺーちんとうえん]が、琉球の伝統的な建築様式にのっとり造らせた館。世界大戦で沖縄本島の士族家屋はことごとく焼失したが、石垣島は戦火を免れた。そのため、当時の士族の邸宅を知る資料として、国の重要文化財に指定されている。母屋の右奥にある庭園は首里の名造園師、城間親雲上[ぐすくまぺーちん]が設計監督したもので、国の名勝に指定されている。
遠浅の海に伸びる、長さ354mの桟橋は、満潮時には海の上を歩いているような気分になれる。目の前には石垣島や西表島を望むことができる。人も少なく静かなので、サイクリングの途中に立ち寄ってのんびりと過ごそう。平成17年(2005)に登録有形文化財に指定されている。
その存在を全国にとどろかせる与那国島の海底遺跡。かつての文明の遺構とも、自然の造形物ともいわれるが、真偽の程は未だ明らかになっていない。ならば実際に潜って自身の目で確かめてみては。スキューバダイビングで潜るのは大変でも、半潜水艇なら、普段着のままで大丈夫だ。与那国島の海は透明度が高いため、ガラス越しに見る海底遺跡はあたかも自分が潜っているかのよう。海底遺跡行半潜水艇は要予約。
市街地の北方、荷川取海岸の道路沿いに立つ石柱。屋敷神、陽石、男根崇拝など様々な説があるが、有力なのが人頭税石である。人頭税とは、薩摩藩の侵略で財政が窮乏した琉球王朝が寛永14年(1637)~明治36年(1903)まで宮古島と八重山地方に課した税のことで、高さ143cmのこの石柱の高さに身長が達すると男性は粟、女性は上布の納税が義務付けられたと言われている。実際は役人の見立てで身長の判断はされていたそうだが、当時の取り立ての厳しさを後世に伝える意味で大切に保存されている。
15世紀末頃、宮古島の首長として、強大な権力を有した仲宗根豊見親が父親を葬るために建てた墓。宮古在来の「みゃーか」といわれる巨石墓様式の墓と、沖縄本島の横穴式墓の様式を組み合わせた珍しい造りになっている。美しい石積みからは当時の石工技術の高さをうかがえると同時に、沖縄本島との文化交流を垣間見ることができる。墓は仲宗根豊見親の子孫、忠導氏一門によって現在も使用されている。国の重要文化財及び沖縄県指定史跡。
銘苅家の先祖は尚円王の縁戚にあたり、王朝時代に代々島の地頭職を務めた旧家。住宅は国指定重要文化財に指定されている。門から入ると正面にヒンプン(目隠し塀)が、右側には屋根付きの門が立ち、女性は門、男性はヒンプンの左側から出入りしていたという。現在の建物は明治38年(1905)の再建で、母屋と那覇からの客の宿泊場所だったアサギ(離れ屋)の2棟がある。良質のマキ材を使って、伝統的な沖縄の建築様式で建てられている。母屋の背面と台所の外壁が漆喰塗りになっていることと、母屋とアサギが別棟でありながら屋根がひと続きなのが特徴。
西表島の西側、船浮集落は船でしか行くことのできない陸の孤島。石垣島からの定期船が着く上原港からレンタカー、または路線バスで島の周囲を走る半周道路の最西端にある白浜港へ行き、ここからさらに船浮海運の定期船(往復960円)に乗って約10分、穏やかな入り江の奥に船浮集落は存在する。イリオモテヤマネコはここで初めて捕獲された。
高那崎の近くに最南端を標す小さくて素朴な碑がある。日本復帰前の昭和45年(1970)に当時、日本列島縦断の旅をしていた学生が、島でアルバイトをして資金をつくり、島の人たちと共に完成させた。海側に出ると、左手に見えるのが高さ数10mの断崖絶壁が続く高那崎のみごとな景観も眺められる。
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