今帰仁城跡
本部半島の北側、緑濃い山々に囲まれた連郭式の山城跡。約7.9haの広さは首里城に匹敵する規模を誇り、かつては難攻不落・沖縄屈指の名城とうたわれた。沖縄に南山、中山、北山の3つの勢力が対立していた三山時代(14~15世紀)、北部一帯を支配していた北山王が三代にわたって居城とし、幾重にも複雑に連なった城壁が当時の面影を今に残す。城跡の入口手前には、今帰仁村歴史文化センター(時間:8~18時、5~8月は~19時、無休)があり、今帰仁城や村周辺で暮らしてきた人々の歴史や文化を紹介している。
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本部半島の北側、緑濃い山々に囲まれた連郭式の山城跡。約7.9haの広さは首里城に匹敵する規模を誇り、かつては難攻不落・沖縄屈指の名城とうたわれた。沖縄に南山、中山、北山の3つの勢力が対立していた三山時代(14~15世紀)、北部一帯を支配していた北山王が三代にわたって居城とし、幾重にも複雑に連なった城壁が当時の面影を今に残す。城跡の入口手前には、今帰仁村歴史文化センター(時間:8~18時、5~8月は~19時、無休)があり、今帰仁城や村周辺で暮らしてきた人々の歴史や文化を紹介している。
玉城朝薫は、音楽・舞踊・台詞を総合的に取り入れた琉球国劇『組踊』の創始者。墓は亀甲墓が作られはじめた17世紀後半から18世紀前半のものといわれている。石積みや縁石に曲線を多用しているのが特徴。2019年5月には『琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な「琉球料理」と「泡盛」、そして「芸能」』と、ストーリーを構成する文化財29件が日本遺産に認定された。
13世紀頃に築城された琉球国中山の王城・浦添グスクを中心とする史跡。沖縄戦の激戦地となったため現在は石垣を残すだけであるが、城跡内の高台からは周辺一帯を見渡せ、地理的に優れた城であったことがうかがえる。浦添グスクの北側には琉球王国初期の王陵で、13世紀に英祖王が築いたと伝えられる「浦添ようどれ」がある。2019年5月には『琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な「琉球料理」と「泡盛」、そして「芸能」』と、ストーリーを構成する文化財29件が日本遺産に認定された。
昭和4年(1929)創立の村営の金融機関で、当時としては珍しいコンクリート造りの建物。沖縄戦で伊江島の建物が焼き払われた中、かろうじて原型をとどめていた建物である。地上戦の跡も生々しく、砲弾などの跡が残っており、戦争の恐ろしさを後世に伝える存在として、村の史跡に指定されている。
沖縄本島北端に位置し、隆起サンゴの断崖がそそり立つ景勝地。岬の先端に立つと、左手に伊是名島や伊平屋島、北の海上には与論島も見渡せる。与論島を含む奄美諸島は昭和28年(1953)に本土に復帰したが、沖縄の本土復帰が実現するのは昭和47年(1972)。先端付近には米軍統治時代に、与論島とこの岬でかがり火を焚き、本土復帰を訴えた海上集会を記念して立てられた祖国復帰闘争の碑がある。岬の背後にそびえる岩山は、辺戸岳。辺戸御嶽ともいわれ、琉球の祖先アマミキヨが沖縄の島々を創ったときに最初にこしらえたという伝説が残る霊地。
玉御殿は、琉球王家第二尚氏初代尚円の父(尚稷)らの墓所とされ、伊是名島の南東に突き出す小山の北麓に位置している。首里に築いた「王陵」と、ほぼ同時期に伊是名島の玉御殿も築いたと伝わる。国指定重要文化財。
本部半島の北西約9kmに浮かぶ伊江島は、本部港からフェリーで約30分、日帰りでも気軽に旅行が楽しめる島。島の中央にあるツンと尖った標高172mの城山(ぐすくやま)は島のシンボルで、山頂からの眺望は素晴らしく、農業が盛んな伊江島ならではの景色や、海の素晴らしさ、また島の35%を占めている米軍用地なども確認することができる。ほかにもさまざまな表情を見せてくれる観光スポットがたくさんあり、島ならではのゆっくりとした時間を感じながらお気に入りの場所を見つけてみたい。
有名な沖縄芝居、「伊江島ハンドゥー小[ぐゎ]」。その舞台となった島村屋の屋敷跡に建てられた施設だ。この物語は美女ハンドゥー小の悲恋を描いた物語で、沖縄三大悲劇物語の一つとして数えられている。園内にポツンとたたずむハンドゥー小の銅像がなんとも印象的だ。島村屋の民家を復元した民俗資料館では、農具や漁具、生活民具等が展示され、かつての島民の生活を伺い知ることができる。
昭和20年(1945)の沖縄戦で激戦地であった伊江島にある。戦いで亡くなった軍人約2000名・住民約1500名、合計3500名余りを合祀している。伊江島での戦闘が終結した4月21日には毎年平和祈願祭が行われ、犠牲になられた方の安らかな眠りを祈っている。
銘苅家の先祖は尚円王の縁戚にあたり、王朝時代に代々島の地頭職を務めた旧家。住宅は国指定重要文化財に指定されている。門から入ると正面にヒンプン(目隠し塀)が、右側には屋根付きの門が立ち、女性は門、男性はヒンプンの左側から出入りしていたという。現在の建物は明治38年(1905)の再建で、母屋と那覇からの客の宿泊場所だったアサギ(離れ屋)の2棟がある。良質のマキ材を使って、伝統的な沖縄の建築様式で建てられている。母屋の背面と台所の外壁が漆喰塗りになっていることと、母屋とアサギが別棟でありながら屋根がひと続きなのが特徴。
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