菅平高原
昭和2年(1927)にスキー場がオープンし、35万人が冬期シーズンに訪れるリゾート地は、昭和6年(1931)ラグビーの合宿開始から夏の球技キャンプ地として脚光を浴びている。夏場の平均気温が19度という涼しい高原は、スポーツをする若者はもちろん、涼しさを求める人々の憩いの場となっている。
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昭和2年(1927)にスキー場がオープンし、35万人が冬期シーズンに訪れるリゾート地は、昭和6年(1931)ラグビーの合宿開始から夏の球技キャンプ地として脚光を浴びている。夏場の平均気温が19度という涼しい高原は、スポーツをする若者はもちろん、涼しさを求める人々の憩いの場となっている。
広々とした丘の上には、菅平とスイスのダボス町との姉妹都市提携を記念して立てられたダボスの塔やシュナイダー記念塔がある。4~9月は高原の花々が、10月中旬~11月中旬は紅葉が美しい。
天平13年(741)、鎮護国家を願う聖武天皇の勅願によって全国に建立された国分寺の一つ。境内には薬師如来を安置した本堂をはじめ、三重塔・大黒天堂・鐘楼・観音堂・地蔵堂・宝蔵などの堂塔伽藍があり、特に和唐折衷様式の三重塔は国の重要文化財。毎年1月7・8日に行われる縁日は八日堂[ようかどう]と呼ばれ親しまれており、蘇民将来符とよばれる護符や、ダルマなどの縁起物を買い求める参拝客で賑わう。夏のハスなど四季折々の花が楽しめる。
6月中旬頃が見ごろ。白樺の樹林の中で咲く朱色のレンゲツツジが、白樺の白色、新緑の鮮やかな緑と絶妙なコントラストを映し出す。また冷涼な風や、鳥のさえずりを感じながら森林セラピー体験ができ、撮影スポットとしても人気。
ビーナスラインの最高地点、標高約2000mの高原に広がる野外彫刻美術館。4万坪の屋外展示場には350点あまりの現代彫刻を展示している。屋外展示場のほか、ギャラリー、こども美術館など室内展示場もあり、様々な現代アートが楽しめる。
標高2000mの美ヶ原高原に位置する道の駅。野外彫刻美術館「美ヶ原高原美術館」の入場券売場が1階に、2階にはギャラリーIと、屋外展示場への入口があり、美術館の施設を兼ねた道の駅になっている。広々とした売店「ショッピングモール」は、信州の特産品はもちろん、美ヶ原高原美術館のアートグッズまで幅広く取り揃えている。2階のレストランでは地元の食材を使った豊富なメニューが揃う。広大な景色が広がる展望テラスでは、ソフトクリームや郷土の名物「おやき」も販売。セットされたテーブルでくつろぎながら軽食を楽しめる。
美ヶ原の北東に位置する標高1990mの展望のよい山。頂上付近に広がる草原では高山の草花が見られ、東は浅間の山並み、西には王ケ頭までの美ヶ原高原のハイキングコースが一望できる。
主神は真田昌幸と長男の信之父子。さらに江戸時代にこの地を領していた仙石、松平両家の歴代藩主が祭神として奉られている。何万もの徳川の軍勢を数千人で撃退した真田の知恵や勝運にあやかろうと訪れる人も多い。
天正11年(1583)に真田昌幸が築城、徳川の大軍を2度撃退した歴戦の名城として知られる。関ケ原の合戦後破却されたが、その後、上田に移封された仙石忠政[せんごくただまさ]によって再建。近世後期には松平氏の居城となった。現在は上田城跡公園として整備され、隅櫓[すみやぐら]と石垣などが往時の面影を伝える。
北向観音堂近くにある宝形造の屋根を持つ、別所温泉共同浴場のひとつ。比叡山延暦寺の座主であった円仁慈覚[えんにんじかく]大師が天長2年(825)、北向観音堂建立のためにこの地を訪れた際に、好んで入浴したのでこの名が付いた。過去には雉子[きじ]が傷をいやしたために「雉子湯」とも、北向観音に参籠した人々が入浴したところから「籠[かご]の湯」とも呼ばれていた。タイル張りの深めの浴槽には単純硫黄泉の温泉が溢れ、ひと昔前のレトロな雰囲気が楽しめる。
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