大田神社のカキツバタ
上賀茂神社東約800mに鎮座する境外摂社の大田神社は、芸能・長寿の神様として信仰が厚い古社。その参道東側、古くから「大田ノ沢」と呼ばれている池には、「大田ノ沢のカキツバタ群落」として国の天然記念物に指定されている野生のカキツバタが群生する。約2万5000株の艶やかな濃紫色の花が一面に咲き誇る様子は見事で、平安時代の歌人として知られる藤原俊成が「神山や大田の沢のかきつばた ふかきたのみは色にみゆらむ」と詠んでいるほど。見ごろは5月上旬。
- 「北山(京都)駅」から徒歩19分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
上賀茂神社東約800mに鎮座する境外摂社の大田神社は、芸能・長寿の神様として信仰が厚い古社。その参道東側、古くから「大田ノ沢」と呼ばれている池には、「大田ノ沢のカキツバタ群落」として国の天然記念物に指定されている野生のカキツバタが群生する。約2万5000株の艶やかな濃紫色の花が一面に咲き誇る様子は見事で、平安時代の歌人として知られる藤原俊成が「神山や大田の沢のかきつばた ふかきたのみは色にみゆらむ」と詠んでいるほど。見ごろは5月上旬。
日本画家・堂本印象の絵画を中心に、彫刻、陶芸などの作品約2300点を収蔵。日本画の枠を越えた多彩な印象の作品はもちろん、日本の近現代美術の展覧会も開催。建物の外観・内観すべてが印象によるデザイン。
上賀茂神社の南、賀茂社から流れ出る明神川に沿って、石垣を積み、白い土塀で囲った家が30軒余り続く。これらは同神社の神官らが住んだ屋敷(社家)で、風格のある家並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。そのなかで数寄屋造の西村家別邸(錦部家旧宅)(料金:500円)が公開されており、社家の内部をうかがうことができる。
国内で唯一、朝鮮半島の美術品を専門に扱う美術館。在日朝鮮人一世の実業家・鄭詔文氏が収集した、高麗・朝鮮王朝時代を中心とする美術工芸品約1700点を収蔵・展示。入口両脇には石像が置かれ、異文化を実感できる。館内はそれほど広くないが、朝鮮王朝時代の華やかな屏風や白磁壺のほか、日用品も並ぶ。朝鮮王朝時代の貴族の部屋や家具類も興味深く、日本文化がいかに朝鮮の影響を受けてきたかがわかる。
放牧場では珍しいひき馬体験があり、水と緑に囲まれたファミリー向けのキャンプ場。マス釣りやクラフト教室などスクール内容も充実。
安産や子授けのご利益で有名なため、妊産婦の参拝者が多い。安産御守の本体である稲藁に節があれば男児を、なければ女児を授かるという珍しい信仰が人気を集めている。また、境内の六勝[ろくしょう]神社は「六つかしいことに勝つ」とも読めることから、必勝、成功、開運、合格祈願の神様として崇敬される。
京都三大祭の一つ「葵祭」で知られる京都の最古の社。およそ2600年前、本殿の背後に位置する秀峰・神山に降臨した賀茂別雷大神を祀ったことが始まり。天武天皇の御代白鳳6年(677)に山背国により賀茂神宮が造営され、現在まで殆ど変容することのない社殿の基が築かれた。平安京遷都後は皇城鎮護の神として、全国の神社の中でも伊勢の神宮に次ぐ官幣大社の筆頭に列せられた。23万坪の境内全域が世界文化遺産。本殿・権殿は国宝、そのほか41棟が国指定重要文化財。
元和2年(1616)、日蓮宗の日乾上人[にちけんしょうにん]が本阿弥光悦の発願で創建した。数百人の学僧が学ぶ鷹峰檀林として栄えた。今は江戸前期の名妓・吉野太夫ゆかりの寺としても知られる。吉野太夫は諸芸に秀でた名妓で、「吉野門」と呼ばれる山門は太夫が寄進したもの。境内には、太夫を偲んで植えられた吉野桜や、太夫の墓があり、太夫の夫である豪商、灰屋紹益[じょうえき]との比翼塚がある。桜約120本、紅葉200~300本程あり、四季を通じてさまざまな花が咲く花の寺としても有名だ。
五山の送り火の一つがある船山の麓に佇む。鎌倉時代に創建され、伏見城の遺構である本堂・方丈(重要文化財)には狩野山楽の襖絵(重要文化財)や、血天井の廊下がある。庭は比叡山を借景とする見事な枯山水。
京都を代表する古社として、世界遺産にも登録されている上賀茂神社で月1回開催されている手づくり市。初夏にホタルが見られる、ならの小川のほとりに、約200軒の店が並ぶ。街中からは少し距離があるけれど、自然に囲まれた市が楽しめる。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。