
七里の渡し
旧東海道の宮の宿(現在の熱田)は、桑名[くわな]へ渡る七里の渡しの渡船場として、船の出入りや客の往来も多かった。その航海の安全を見守る役目として置かれた常夜灯が、今でもひっそりと残っている。火災により寛政3年(1791)に再建され、その後荒廃していたものを昭和30年(1955)に地元の有志により、ほぼ旧位置に再建され、現在は宮の渡し公園として整備されている。
- 「熱田神宮伝馬町駅」から徒歩10分/「豊田本町駅」から徒歩14分
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旧東海道の宮の宿(現在の熱田)は、桑名[くわな]へ渡る七里の渡しの渡船場として、船の出入りや客の往来も多かった。その航海の安全を見守る役目として置かれた常夜灯が、今でもひっそりと残っている。火災により寛政3年(1791)に再建され、その後荒廃していたものを昭和30年(1955)に地元の有志により、ほぼ旧位置に再建され、現在は宮の渡し公園として整備されている。
名古屋の幹線輸送路だった堀川と中川運河を結んでいた水門。東洋一ともいわれた建築美は本来の役目を終えた今も健在。夜にはライトアップされる。付近は松重閘門公園として整備されている。
天文6年(1537)、織田信康により創建された現存する日本最古の木造天守。天守の美しさは荻生徂徠[おぎゅうそらい]が李白の詩を引用し、「白帝城」と讃えたほど。最上階の回廊からは、木曽川の眺めとともに、晴れた日には遠く御嶽山、名古屋駅ビル、岐阜城などを見渡せる。
江戸末期から明治初期にかけて建築された建物で、国登録有形文化財に登録されている。緩やかなカーブを描く「起(むく)り屋根」が特徴的で、奥行きは58mある。奥土蔵、展示蔵、和室はギャラリーとしての利用も可能(有料)。
昭和を代表する建築家・堀口捨己の監修によって築造された日本庭園。織田信長の弟の織田有楽斉[うらくさい]が京都の建仁寺に創建した国宝茶室「如庵」[じょあん]や、国指定重要文化財「旧正伝院書院」[きゅうしょうでんいんしょいん]が見られる。如庵は昭和11年(1936)に国宝に指定された茶道文化史上貴重な遺構で、京都の山崎妙喜庵の待庵、大徳寺龍光院の密庵とともに国宝茶席三名席の一つ。昭和47年(1972)に現在の地に移築され一般公開されている。
野外民族博物館リトルワールドに展示された家屋。水田やココヤシに囲まれた、南インドのケララ州にある村がモデル。地主のナヤール・カーストの家を復元している。ショッピングやグルメ、民族衣装の試着も楽しめる。
野外民族博物館リトルワールドに展示された家屋。イタリア半島南部プーリア州郊外の農家の家屋を再現。トゥルッリとよばれる建物は、すべて平たい石灰岩を積み重ねて作られている。グルメや民族衣装の試着も楽しめる。
野外民族博物館リトルワールドに展示された家屋。スマトラ島北部の家屋を移築。両端がするどくそり上がった屋根が印象的。家は三層に分かれ、床下に水牛、高床に人間、屋根裏には神が住むとされる。
博物館明治村に保存・展示されている建造物。本格的な洋風スタイルの重厚な石造りの建物。札幌は暖房の使用が多く、火災の多い土地だったため、当事の情報流通の拠点を守るために石造りとなった。石の表面には繊細な花紋も彫られている。
博物館明治村に保存・展示されている建造物。中世ヨーロッパのロマネスク様式を基調に、ゴシックデザインを交えた外観で、正面左右に建てられた高い尖塔が特徴的な教会堂。1階はレンガ造り、2階は木造という耐震性に優れた構造になっている。
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