
国宝・犬山城
天文6年(1537)、織田信康により創建された現存する日本最古の木造天守。天守の美しさは荻生徂徠[おぎゅうそらい]が李白の詩を引用し、「白帝城」と讃えたほど。最上階の回廊からは、木曽川の眺めとともに、晴れた日には遠く御嶽山、名古屋駅ビル、岐阜城などを見渡せる。
- 「犬山遊園駅」から徒歩13分/「犬山駅」から徒歩17分
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天文6年(1537)、織田信康により創建された現存する日本最古の木造天守。天守の美しさは荻生徂徠[おぎゅうそらい]が李白の詩を引用し、「白帝城」と讃えたほど。最上階の回廊からは、木曽川の眺めとともに、晴れた日には遠く御嶽山、名古屋駅ビル、岐阜城などを見渡せる。
博物館明治村に保存・展示されている建造物。三重県の県令(現在の県知事)に任命された岩村定高により計画され、明治12年(1879)に完成した洋風庁舎。白壁と中央の玄関を軸にした、左右対称の造りが美しい当時の典型的な官庁建築。
清須に位置し、園内には26歳の織田信長が桶狭間の戦いに出陣する姿を模した銅像とそれを傍らで見守る濃姫像があり、夫婦円満が出世、恋愛のパワースポットとして話題である。
白いタイル張りの洋館と落ち着いた和館で構成された邸宅は、発明王・豊田佐吉の弟、豊田佐助が住んでいた。1階には蓮のつぼみの形をした照明が、天井には「とよだ」の文字が鶴と亀でデザインされた換気口など、細かなところまで見逃せない。
名古屋の幹線輸送路だった堀川と中川運河を結んでいた水門。東洋一ともいわれた建築美は本来の役目を終えた今も健在。夜にはライトアップされる。付近は松重閘門公園として整備されている。
博物館明治村に保存・展示されている建造物。明治20年(1887)頃、岸田伊之助が神戸に開いた牛肉販売と牛鍋の店。半円アーチ型の窓をもつ華やかな洋風建築に、金の浮き文字の和風の看板が掲げられている。店内では、文明開化の象徴「牛鍋」4500円~(要予約)を賞味可。牛鍋とは今でいうすき焼きで、秘伝のタレが肉の旨味を引きだしている。国の登録有形文化財。
昭和を代表する建築家・堀口捨己の監修によって築造された日本庭園。織田信長の弟の織田有楽斉[うらくさい]が京都の建仁寺に創建した国宝茶室「如庵」[じょあん]や、国指定重要文化財「旧正伝院書院」[きゅうしょうでんいんしょいん]が見られる。如庵は昭和11年(1936)に国宝に指定された茶道文化史上貴重な遺構で、京都の山崎妙喜庵の待庵、大徳寺龍光院の密庵とともに国宝茶席三名席の一つ。昭和47年(1972)に現在の地に移築され一般公開されている。
野外民族博物館リトルワールドに展示された家屋。南アフリカの高地に住むンデベレの家。家に描かれた幾何学模様や民族衣装など、カラフルで独特の文化が見られる。向かい側のアフリカンプラザではショッピングやグルメ、民族衣装の試着も楽しめる。
博物館明治村に保存・展示されている建造物。当時の山梨の県令(現在の県知事)、藤村紫朗[ふじむらしろう]により建設。地元職人が伝統技術を駆使した、「藤村式」とよばれる洋風建築。日本風の花鳥風月をあしらった天井の漆喰塗中心飾なども必見。
本能寺の変の後、急速に力を付ける秀吉に危機感を抱いた信長の次男・信雄は、徳川家康に助けを求める。その求めに応じた家康と秀吉が相まみえたのが天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いだ。その最大の激戦地となった場所が古戦場公園として整備されている。園内には秀吉方の武将、池田恒興[いけだつねおき]・元助(もとすけ)父子の戦死地とされる石碑などがある。
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