
小倉山 蓮台寺
大野城の落城でお江が逃げ落ちる際に、着ていた着物を松の木に掛けて自害を装ったとされる衣掛の松が残る。境内には佐治氏の初代の墓も。
- 「大野町駅」から徒歩6分/「西ノ口駅」から徒歩20分
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大野城の落城でお江が逃げ落ちる際に、着ていた着物を松の木に掛けて自害を装ったとされる衣掛の松が残る。境内には佐治氏の初代の墓も。
徳川家のルーツといわれる松平氏発祥の地。一帯は松平氏遺跡として国の史跡に指定されている。郷内には松平家の産湯の井戸や家康公を奉った松平東照宮、松平家にまつわる品々を展示する松平郷館、松平氏菩提寺の高月院などがあり、じっくりと史跡めぐりが楽しめる。また、「徳川家康公400年祭」を記念して、松平東照宮の天井が見事に生まれ変わった。季節の草花を題材にした色鮮やかな108枚の漆絵は、表面的な美しさだけでなく、大自然の本質的な「美」をうつし描かれている。
高さ約19mの大仏が鎮座する緑豊かな園内に、トリム広場や散策が楽しめる聚楽園公園、14種の風呂やプールを備えた健康ふれあい交流館、ハーブ園や水辺の生態園などがある。和風庭園を眺めながら抹茶350円で一服もできる。健康ふれあい交流館は入浴&プール520円、10~21時(第2・4月曜は~17時)、月曜休館(祝日の場合は翌日、12月29日~1月3日は休館)。
園内には西尾城の一部が復元され、歴史文化の中心スポットに。城の周りには庭園、西尾市資料館、食事処などがあり、散策にも最適。復元された本丸丑寅櫓は、高さ10mの木造建築で、壁面上部は漆喰塗籠、下の部分には下見板張りを取り入れている。園内の旧近衛邸では、「西尾の抹茶」のサービス(季節の和菓子がついて一服450円)が行われている。
室町時代末期の平山城。織田信長の父信秀によって築城されたと伝えられている。その後丹羽氏が入城し、四代約六十年間その居城となった。豊臣秀吉と徳川家康の唯一の直接対決となった小牧・長久手の戦いにおいては、秀吉方の池田恒興の三河中入を阻止すべく戦い、当時の当主丹羽氏次の弟氏重以下約三百名が討ち死にした。城跡にある岩崎城址公園内には、櫓台・空堀跡などの他、日進市内を一望する模擬天守の展望塔岩崎城、岩崎城や日進市の歴史を紹介している岩崎城歴史記念館がある。
長田父子による義朝謀殺の一報を聞き、家臣の渋谷金王丸や鷲栖玄光らは長田邸の湯殿へ急行する。これらを長田家の家臣団が迎え撃ち乱戦した場所がここ。
吉田城は永正2年(1505)に築かれ、戦国時代には東三河の重要拠点のひとつとして機能した。徳川四天王のひとり、酒井忠次が城主を25年務め、その後池田輝政が入城。近世城郭として石垣を整備。当時の面影を残す石垣と復興された鉄櫓があり、周辺は緑豊かな公園となっている。
岡崎城は、徳川家康公が生まれた神君出生の城。龍にまつわる伝説も多く、別名龍ヶ城とも呼ばれ、竹千代(のちの家康公)が誕生した折には、城の上に黒雲が渦巻き、黄金の龍が現れたと伝えられている。昭和34年(1959)に再建された3層5階の復興天守は、岡崎市のシンボルとして市民に愛され親しまれている。いにしえにより、東海道を舟運による交通の要衝として栄え、「五万石でも岡崎様は お城下まで舟が着く」と歌われた岡崎城の発展や城下町の繁栄と歴史文化、伝統産業などを紹介している。岡崎城はその歴史的価値から、平成18年(2006)に「日本100名城」に選定された。所要40分。
長篠城は永正5年(1508)の築城と伝えられ、今川氏、武田氏、徳川氏による争奪戦が展開された。天正3年(1575)には長篠・設楽原の戦いの発端となり、甲斐の武田勝頼は長篠城を1万数千の兵で攻撃したが、奥平信昌率いる約500の城兵は激しく抵抗、また鳥居強右衛門[すねえもん]の活躍もあり、城はついに落城せず、織田・徳川連合軍を大勝に導いた。現在は国の史跡に指定され、土塁・内堀の跡が往時を物語る。また、周辺には医王寺(武田勝頼本陣地)や馬場美濃守墓、鳥居強右衛門の墓などの関係史跡が点在する。
平治2年(1160)の正月三日、初湯に招かれた義朝公が、長田父子に謀殺されたといわれる湯殿跡地。源義朝公之像はそのすぐ横に静かに鎮座している。
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