
長久手古戦場
本能寺の変の後、急速に力を付ける秀吉に危機感を抱いた信長の次男・信雄は、徳川家康に助けを求める。その求めに応じた家康と秀吉が相まみえたのが天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いだ。その最大の激戦地となった場所が古戦場公園として整備されている。園内には秀吉方の武将、池田恒興[いけだつねおき]・元助(もとすけ)父子の戦死地とされる石碑などがある。
- 「長久手古戦場駅」から徒歩4分/「杁ケ池公園駅」から徒歩16分
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本能寺の変の後、急速に力を付ける秀吉に危機感を抱いた信長の次男・信雄は、徳川家康に助けを求める。その求めに応じた家康と秀吉が相まみえたのが天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いだ。その最大の激戦地となった場所が古戦場公園として整備されている。園内には秀吉方の武将、池田恒興[いけだつねおき]・元助(もとすけ)父子の戦死地とされる石碑などがある。
高さ約19mの大仏が鎮座する緑豊かな園内に、トリム広場や散策が楽しめる聚楽園公園、14種の風呂やプールを備えた健康ふれあい交流館、ハーブ園や水辺の生態園などがある。和風庭園を眺めながら抹茶350円で一服もできる。健康ふれあい交流館は入浴&プール520円、10~21時(第2・4月曜は~17時)、月曜休館(祝日の場合は翌日、12月29日~1月3日は休館)。
園内には西尾城の一部が復元され、歴史文化の中心スポットに。城の周りには庭園、西尾市資料館、食事処などがあり、散策にも最適。復元された本丸丑寅櫓は、高さ10mの木造建築で、壁面上部は漆喰塗籠、下の部分には下見板張りを取り入れている。園内の旧近衛邸では、「西尾の抹茶」のサービス(季節の和菓子がついて一服450円)が行われている。
長田父子による義朝謀殺の一報を聞き、家臣の渋谷金王丸や鷲栖玄光らは長田邸の湯殿へ急行する。これらを長田家の家臣団が迎え撃ち乱戦した場所がここ。
石垣と復元された隅櫓[すみやぐら]が往時を偲ばせる、吉田城跡につくられた公園。緑豊かで、市民の憩いの場となっている。毎年「豊橋まつり」のメイン会場になり、「炎の祭典」なども開催。園内には豊橋市美術博物館のほか、陸上競技場や野球場がある。
平治2年(1160)の正月三日、初湯に招かれた義朝公が、長田父子に謀殺されたといわれる湯殿跡地。源義朝公之像はそのすぐ横に静かに鎮座している。
江戸末期の公家の邸宅で、茶室と書院からなる。西尾城の櫓や手入れの行き届いた庭を眺めながら抹茶450円(季節の和菓子付)が楽しめる。二之丸丑寅櫓と屏風折れ土塀も復元された。
小牧・長久手の戦いで、渡辺半蔵らが血のついた槍や刀を洗って真っ赤になったとされる池を埋めて整備。「毎年、合戦のあった4月9日に池の水が赤くなる」という伝説が残されている。
明治31年(1898)建設のカブトビール醸造工場跡。約240万丁のレンガを使い、現存するレンガ建築としては日本最大規模を誇る。レンガ造りのビール工場の遺構は現存数が極めて少ないため、貴重な建造物となっている。カフェブリックでは、生カブトビールを味わうことができる。夜には建物のライトアップ(時間:日没~22時)が幻想的だ。国の登録有形文化財、近代化産業遺産に登録されている。
大野城の落城でお江が逃げ落ちる際に、着ていた着物を松の木に掛けて自害を装ったとされる衣掛の松が残る。境内には佐治氏の初代の墓も。
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