
今西家書院
元は興福寺坊官・福智院家の居宅。大正13年(1924)春鹿醸造元、今西家の所有となった。室町時代書院造の貴重な遺構は重要文化財指定。おすすめの春鹿プレートや春鹿バームセット(各800円)でゆったりと。古都ならではの贅沢を味わえる。喫茶は別途入館料が必要。
- 「京終駅」から徒歩16分/「近鉄奈良駅」から徒歩18分
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元は興福寺坊官・福智院家の居宅。大正13年(1924)春鹿醸造元、今西家の所有となった。室町時代書院造の貴重な遺構は重要文化財指定。おすすめの春鹿プレートや春鹿バームセット(各800円)でゆったりと。古都ならではの贅沢を味わえる。喫茶は別途入館料が必要。
聖武天皇の遺愛の品をはじめ、東大寺に伝わった宝物を納めていた宝庫。現在は宮内庁が管理する。校倉[あぜくら]造、高床式の正倉は世界遺産。光明皇后が奉献した聖武天皇の御遺愛品のほか、大仏開眼会[かいげんえ]で使われた仏具などの宝物は戦後、構内に建築されたコンクリート造の宝庫に移されている。毎秋奈良国立博物館で開催する正倉院展に収納品の一部が出陳される。
佐紀盾列古墳群中の小奈辺古墳の北西にあり、仁徳天皇の皇后、磐之媛命の陵墓とされる。全長220mの前方後円墳。濠のカキツバタやコウホネが美しく、前面に水上池が広がる。
豪壮な石垣を巡らせた屋敷で、幕末に柳生藩財政を立て直した家老小山田主鈴[おやまだしゅれい]の旧邸。昭和39年(1964)には作家山岡荘八の所有となり、ここで柳生が舞台の小説『春の坂道』の構想を練ったという。館内には柳生藩ゆかりの古文書や武具などを展示する。
平成10年(1998)登録の世界遺産。奈良時代の710年に首都・平城京が置かれて以来、現在もなお奈良市内に残る当時の遺構や寺院のうち、東大寺、興福寺、春日大社、元興寺、薬師寺、唐招提寺、平城京跡、春日山原始林の8つが構成資産として登録されている。東アジアでも、奈良のように宮殿の遺構と木造建築群、さらに山や森といった自然を含めて、文化的景観が守られている地域は珍しく、日本の国家や文化の基礎が形成された時代の様子を伝えている。また、この都市に花開いた文化を知ることができる貴重な遺産であるとともに、平城京の都市計画や仏教美術などは、中国や朝鮮との交流によってもたらされたもので、2国との交流により日本の文化が発展したことを物語っている。
奈良の古都平城京にあった平城宮の中心的な施設が大極殿。第一次大極殿は、世界遺産に登録されている平城宮跡にあり、朱雀門の真北約800mの位置に堂々と立っている。発掘調査と研究の結果を元に、9年の歳月をかけて復原された。正面約44m、側面約20m、高さ約27mの平城宮最大の宮殿で、屋根は二重の入母屋造。内部は、朱色の直径70cmの丸柱44本と美しく組まれた入組天井で構成され、四方を巡る小壁には上村淳之画伯により四神・十二支が描かれている。中央に置かれている高御座は天皇が着座する玉座。
佐紀盾列古墳群の中にあり、垂仁[すいにん]天皇の皇后、日葉酢媛命の陵墓とされる。全長203mの前方後円墳で、巨大な蓋[きぬがさ]形埴輪などが出土した。『日本書紀』によると、垂仁天皇は皇后の死去にあたり、殉死の風習をやめさせるため、初めて埴輪を用いたという。
瓦屋根に相輪[そうりん]をのせた、和洋折衷建築の旧駅舎。鉄筋コンクリート造り2階建てで、昭和9年(1934)に2代目駅舎として完成。古都の玄関口らしい佇まいで、旧駅舎をバックに記念撮影する観光客も多い。旧駅舎は移設、保存され、奈良市総合観光案内所として活用されている。
第9代開化天皇の陵とされる前方後円墳。全長約100m、後円部径48m、前方部幅48m。三条通りから北に参道が延びており、付近は繁華街の近くとは思えないような静けさに包まれている。
土と石を積み上げた特異な塔。奈良時代に東大寺の実忠[じっちゅう]が造ったと伝わり、近年、高さ10m、7段のピラミッド状に復元された。見学は要連絡。
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