
霊山寺
聖武天皇の勅願により創建された寺。大仏開眼の導師を務めたインド僧菩提僊那[ぼだいせんな]と行基が開いたと伝わる。本堂(国宝)には平安後期の薬師三尊像(重要文化財)を祭る。三重塔(重要文化財)、十一面観音立像(重要文化財)など優れた建築や彫刻を所蔵。洋風バラ園もあり、200種2000株のバラが春と秋に咲く。
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聖武天皇の勅願により創建された寺。大仏開眼の導師を務めたインド僧菩提僊那[ぼだいせんな]と行基が開いたと伝わる。本堂(国宝)には平安後期の薬師三尊像(重要文化財)を祭る。三重塔(重要文化財)、十一面観音立像(重要文化財)など優れた建築や彫刻を所蔵。洋風バラ園もあり、200種2000株のバラが春と秋に咲く。
奈良市高畑町から柳生へと通じる全長17kmの街道。剣豪も行き交った道は東海自然歩道として整備されている。コースの大半は昔の面影を残している。高畑町から能登川渓流に沿って山に入り、しばらく歩くと石畳の滝坂道。春日山と高円山の谷あいの道で、寝仏、夕日観音、朝日観音等の石仏が次々と現れる。石畳の先の三差路には、剣豪荒木又右衛門が試し斬りしたとの伝説が残る、首切り地蔵が立つ。春日奥山ドライブウェイを横断し、坂道を下ると地獄谷石窟仏が。石切峠を越えて峠の茶屋に出ると、下り坂で道も広くなり円成寺へと至る。円成寺まで約3時間。
1万平方mの園内に、約200品種80万本のショウブが咲き競う。珍しいアジサイもある。すかし百合も6月5日頃から咲きはじめ、楽しむことができる。
興福寺の門跡寺院だった大乗院の庭園跡。平成22年(2010)の整備完了後に一般公開された。庭園南側に立つ大乗院庭園文化館からも望める。
春日大社の檜皮葺きの中門と御廊に囲まれて、一間社春日造[いっけんしゃかすがづくり]の4棟が東西に立ち並ぶ。それぞれに祭神の武甕槌[たけみかづち]命、経津主[ふつぬし]命、天児屋根[あめのこやね]命、比売[ひめ]神を祭る。現在の本殿は文久3年(1863)の造替で建てられたもので、その後の造替は国宝指定のため修繕・修理にとどめられている。特別参拝にて中門前より参拝・拝観可能。
養老5年(721)、藤原不比等[ふじわらのふひと]の1周忌に際し建立された。堂々とした八角円堂だが、現在の建物は鎌倉時代の再建。堂内には運慶一門が制作した鎌倉時代の本尊弥勒如来像(国宝)の、無著[むじゃく]・世親[せしん]菩薩像(国宝)などを安置、毎年春と秋に特別公開される。
寛永15年(1638)、柳生宗矩[むねのり]が父で柳生新陰[しんかげ]流の創始者、石舟斎[せきしゅうさい]の菩提を弔うために建立。以後、柳生家の菩提寺となった。開山は宗矩と親交があった沢庵[たくあん]和尚だ。本堂には宗矩や沢庵の木像を安置し、柳生新陰流の兵法書なども展示。本堂裏手の墓地には石舟斎、宗矩、十兵衛ら一族の墓80数基が整然と並ぶ。本堂建物は奈良市指定文化財に指定されている。
寺伝では東大寺の前身とされる金鍾寺[きんしょうじ]の遺構といわれる。天平時代の建築で東大寺最古の建物だが、正面の礼堂は鎌倉時代に修造されたもの。本尊の脱活乾漆造不空羂索[ふくうけんさく]観音立像(国宝)は高さ約3.6m。見事な宝冠を戴いた、3目8臂の威厳に満ちた表情が印象的だ。須弥壇左右に立つ脱活乾漆造梵天・帝釈天立像(国宝)は、高さ約4mの堂内最大の巨像。内陣の四隅で本尊を護る脱活乾漆造四天王立像(国宝)もそれぞれ高さが約3mある。塑造金剛神立像(国宝)は12月16日のみ開扉される秘仏。日光・月光菩薩立像は東大寺総合文化センター内ミュージアムに安置されている。
光明皇后が、父藤原不比等[ふひと]の邸宅跡に建てた総国分尼寺で、法華滅罪之寺[ほっけめつざいのてら]と称した。平安遷都後は衰退したが、慶長6年(1601)に豊臣秀頼、淀殿により現在の本堂(重要文化財)、鐘楼(重要文化財)、南門(重要文化財)が再建された。本尊の木造十一面観音立像(国宝)は光明皇后がモデルといわれるが、特別開扉時以外は御分身(模刻像)を拝する。本坊の庭園は名園として名高い。
鎧や太刀などの武具、御殿に納められていた古神宝や、舞楽面や舞楽装束、楽器など優れた美術工芸品が多く、国宝354点や重要文化財1482点をはじめ多くの文化財を所有する。また、常設展示では光と水で聖域を表現するインスタレーション空間を設置するユニークな美術館。春日若宮おん祭りで実際に使用する日本最大級を誇る極彩色のだだいこも見物。
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