
旧徳島城表御殿庭園
徳島中央公園の徳島市立徳島城博物館に隣接。茶人武将・上田宗箇が関ケ原合戦後に作庭したとされる回遊式の大名庭園。枯山水庭と築山泉水庭からなり、阿波特産の青石(緑色片岩)を大胆に用いた豪壮なつくりが特徴。全長10mを超える大石橋や池畔の石組みは鮮やかで一見の価値がある。
- 「徳島駅」から徒歩8分/「阿波富田駅」から徒歩18分
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徳島中央公園の徳島市立徳島城博物館に隣接。茶人武将・上田宗箇が関ケ原合戦後に作庭したとされる回遊式の大名庭園。枯山水庭と築山泉水庭からなり、阿波特産の青石(緑色片岩)を大胆に用いた豪壮なつくりが特徴。全長10mを超える大石橋や池畔の石組みは鮮やかで一見の価値がある。
徳島駅北東に広がる公園で、明治維新まで阿波の領主・蜂須賀家の居城だった。往時の建物はないが、石垣と桃山様式の旧徳島城表御殿庭園がかつての面影を伝える。平成18年(2006)1月、徳島城跡が国の史跡に指定された。
板東俘虜収容所で亡くなった11名の俘虜のためにドイツ兵が建てた碑。ドイツ兵の帰国後、手入れを続けた住民の善意がドイツに伝わり、日独の友好を象徴する史跡となっている。現在はドイツ村公園となっており、自由に見学することができ、菩提樹の木や桜が植えられている。
吉野川の河畔に広がる脇町は藩政時代、阿波藍作りが奨励され、藍商を中心とする商人の町として発展した。商家の人々は、その財力で屋根に防火用の袖壁[そでかべ]である、うだつを上げた立派な家を造り、その多くが往時の姿のまま残っている。江戸から明治、大正と時代を経るにつれ、しだいに装飾性を増したうだつを見ることができる。昭和63年(1988)に一帯が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。旧商家の本街道として栄えた南町の通りが散策の中心地。寛政4年(1792)に創業した藍商の「佐直」は必見。
代々酒造業を営んできた商家の建物で、下側は葺き下ろし、上側は切り妻造りになった江戸時代の古いうだつの形が見られ、当時の商家の姿を伝える。国の登録有形文化財。2階には織本屋の調度品を常時展示。
祖谷街道の難所のひとつ、急カーブの七曲[ななまがり]にある。深く切り込んだ祖谷川のV字型の渓谷に突き出た大きな岩の上には、旅人などが度胸試しをしたという由来から作られた小便小僧の像が立つ。
野生のシラクチカズラを使って編んだ吊橋で、日本三奇橋のひとつ。水面からの高さ14m、長さ45m、幅2m。国の重要有形民俗文化財に指定されており、3年に1度掛け替えられる。平家の落人たちが追手から逃げる時すぐ切り落とせるようにカズラを使ったと言われている。足を踏み出すとギシギシと揺れ、スリル満点。川の左岸からの一方通行。毎晩19時~21時30分までライトアップしている。
重要伝統的建造物郡保存地区・うだつの町並みのほぼ中央にある。吉田屋直兵衛が寛政4年(1792)に創業した藍商の屋敷跡で、主屋・質蔵・藍蔵など5棟が中庭を囲むように立ち並ぶ。藍商館の典型的な佇まいを今に残し、往時の繁栄ぶりが偲ばれる。美馬市指定文化財。
うだつとは、軒先の両袖につけられた防火壁のことである。商人たちは競ってこのうだつに様々な装飾を施した。小屋根をつけ、漆喰の絵模様を書き、二段にし、うだつは時代とともに豪華になっていった。建物ごとに異なる意匠を楽しみながら歩こう。町並みめぐりには、観光ボランティアガイドも随時派遣中(有料、要予約)。
ドイツ村公園に開店した道の駅。物産館は、旧板東俘虜収容所だった建物を移築。併設の鳴門市ドイツ館は第一次大戦時のドイツ兵俘虜と、地元との交流を紹介。ほか、世界平和を求めて活動した賀川氏の足跡を学べる、鳴門市賀川豊彦記念館などみどころは多い。
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