
武家屋敷旧喜多家
宝暦13年(1763)に建てられた祖谷地方でも最も大きな武家屋敷。庭先には矛の形をした、巨大な鉾杉が自生している。
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宝暦13年(1763)に建てられた祖谷地方でも最も大きな武家屋敷。庭先には矛の形をした、巨大な鉾杉が自生している。
江戸時代から続く藍商の屋敷で、昭和51年(1976)に、主屋を中心に藍納屋、藍蔵等11棟全てが国指定重要文化財となった。全解体工事を経て当時の姿が復元されている。昔は、吉野川が毎年台風によって氾濫を繰返し、現在の屋敷は三度目に建てられたもので、江戸時代末期から約30年間の建築様式が見られる。主屋の葦葺の屋根は、洪水時には救命ボートに早変わりするという設計がなされている。また、洪水対策用としての石垣は20年の歳月をかけて隙間無く築かれており、屋敷全体の構成美が見所となっている。
壇ノ浦の戦いで入水した安徳[あんとく]天皇の御典医[ごてんい]、堀川内記[ほりかわないき]が残党とともに祖谷に落ちのび、子孫代々が暮らした屋敷を資料館として公開。平家ゆかりの品々や古文書、民具などを展示している。建物は屋敷・土蔵・共に三好市重要有形文化財に指定されている。所要30分。
樹齢1000年余り、幹回り約17mにもおよぶ、国の特別天然記念物に指定されている巨樹。地域のシンボルとして古くから愛されている。
アニメでおなじみの妖怪・児啼爺は、山城町が発祥の地。藤川谷には石像が立てられ、かたわらには京極夏彦氏の寄せた碑文もある。
脇町のうだつの町並みから歩いて15分ほどの高台にある茅葺屋根の古民家。享保20年(1735)に建築された民家を移築し、歴史民俗資料として公開。今までに4回の修理・改造が行われたが、木材などは建築当時のものが残っている。江戸時代中期のこの地域の典型的な山村農家建築で、国の重要文化財。
平成17年(2005)、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された昔ながらの山村集落。指定当時約54軒の民家が標高差約390mの急斜面にはり付くように立ち、江戸中期から昭和初期に独特の工夫を凝らして造られた主屋や石垣が現在も多く残る。対岸には展望所があり、落合集落の全景が見渡せる。
二層うだつの町並みの中ほどにある。寛政3年(1791)の創建。南に切妻本瓦葺の表門を開き、築地塀に囲まれた約550坪の敷地内には母屋・蔵・藍のネドコなどの建物群があり、井戸や鶴亀蓬莱庭園(座視鑑賞式)など、その歴史を今に伝えるたたずまいを色濃く残している。うだつを上げた商家とは趣が異なり、庄屋としての特別な格式を備えた貴重な歴史的文化遺産だ。
東洋文化研究者のアレックス・カーが監修した築300年を超える茅葺き民家。日本のチベットと呼ばれ、四国の中心に位置する神秘的な山岳地帯の祖谷にあり、地域の伝統や風習を尊重しながら快適な滞在のためにリノベーションされている。
優れた魚場として栄える港町・椿泊は、江戸時代を中心に活躍した「阿波水軍」を率いた森一族の本拠地だったことで知られる。森一族の屋敷跡には江戸期の石垣のみ残されている。
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