
善光寺 山門
善光寺の楼門。寛延3年(1750)の建築で、5間3戸、二重の入母屋[いりもや]造。高さは約20mもある。善光寺の額は、輪王寺宮公澄[こうちょう]法親王の筆によるもの。平成19年(2007)末に平成大修理が終了し、建立当時と同じ姿に復原された。
- 「善光寺下駅」から徒歩10分/「権堂駅」から徒歩16分
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善光寺の楼門。寛延3年(1750)の建築で、5間3戸、二重の入母屋[いりもや]造。高さは約20mもある。善光寺の額は、輪王寺宮公澄[こうちょう]法親王の筆によるもの。平成19年(2007)末に平成大修理が終了し、建立当時と同じ姿に復原された。
善光寺の本尊・一光三尊阿弥陀如来は、欽明13年(552)仏教伝来の折に百済国の聖明王[せいめいおう]から献上された仏といわれる。蘇我氏と物部氏の争いの折、排仏派の物部尾輿[おこし]により難波堀江に捨てられたが、皇極元年(642)信濃国の本田善光[よしみつ]が現在の地に安置したと伝わり、それが寺名の由来となった。本尊は戦国時代に武田信玄や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康により日本各地を転々し、ようやく慶長3年(1598)に善光寺へ戻された。創建直後から秘仏となり、数え年で7年に1度の盛儀「善光寺御開帳」の際にも本尊ではなく、分身である前立本尊(重要文化財)が開扉される。
善光寺の本堂。棟の形が鐘をつく撞木の形(T字型)になっている撞木造、檜皮葺屋根の江戸中期寺院建築の傑作。大伽藍は間口約24m、高さ約26m、奥行約54mで、国宝建造物の中で東大寺大仏殿、三十三間堂、知恩院御影堂に次ぐ規模。正面は向拝3間で軒唐破風付き、内部は外陣が広いという近世寺院建築の特長を示す。数え年で7年に1度、本尊と同じ姿の前立本尊が開扉される。毎回、御開帳に際して松代町から奉納される回向[えこう]柱が本堂前に立てられるが、これと前立本尊の右手が「善の綱」で結ばれるため、回向柱にふれると御本尊にふれたのと同じ御利益があるといわれる。
善光寺世尊院の小御堂は別名「釈迦堂」とよばれ、体長1.66m、重さ500kgの日本で唯一の銅造等身大釈迦涅槃像が祀られている。お釈迦様が入減し完全な悟りを開いたお姿を表わしている。鎌倉後期の作で国の重要文化財に指定されている。
祭神は、日本神話で名高い天照大神が天の岩窟に隠れた時、天の岩戸を怪力で開けられたといわれる天手力雄命。戸隠神社の本社として、開運・心願成就・五穀豊穣などを願う人々が全国から集ってくる。赤い随神門はもとの仁王門。茅葺き屋根が荘厳な雰囲気を醸し出す。樹齢400年の杉並木が続き、並木の間には江戸時代まであった大講堂や院坊跡の石積みも見られ、修験道が盛んだった往時を伝える。奥社の左手には、戸隠の地主神で、水の神、縁結び・虫歯の神、農業の神として信仰を集める九頭龍社もある。
松代が生んだ幕末の思想家の先覚者、佐久間象山を祭った神社。象山が生まれてから29年間を過ごした佐久間象山宅跡、吉田松陰の密航事件に連座の後、蟄居[ちっきょ]の身となった象山が客間・書斎として使用していた高義亭[こうぎてい]、9年の蟄居の後、京に上って構えた家の茶室を移築した煙雨[えんう]亭が境内に立つ。
真田家の菩提寺で、信州僧録所として曹洞宗千ケ寺を統括してきた格式のある寺。本堂の屋根にそびえる鯱[しゃちほこ]とその真下の真田家紋章六文銭が印象的。狩野探幽[かのうたんゆう]らの筆と伝わる格天井や、左甚五郎[ひだりじんごろう]作と伝わる鶴の彫刻の破風[はふ]を持つ真田信之の霊廟(国指定重要文化財)をはじめとする歴代藩主の墓所などがある。藩家老勝手掛として藩財政を建て直し、『日暮硯[ひぐらしすずり]』を著した恩田木工民親の墓も立っている。霊廟の見学は1週間前までに申し込みが必要。
永禄4年(1561)川中島合戦で戦死した武田信玄の弟、典厩信繁[てんきゅうのぶしげ]と両軍の戦死者を弔った寺院。境内には典厩の墓や日本一大きな閻魔[えんま]大王など、戦死した武者たちの功績を偲ぶ史跡が多い。川中島合戦記念館の展示物も、合戦で使用された典厩の兜・太刀・鉄扇・戦況地図など貴重。庭園の枝垂桜は大木が多く閑雅清浄で、春に訪れてみたくなる。なお、真田信繁(幸村)の供養塔も典厩の墓の左側に祀られている。
善光寺から徒歩で20分。坂道を登り切った高台にある浄土宗の山寺。「刈萱[かるかや]道心と石堂丸」の話で知られる刈萱上人が没した地で、別名・かるかや堂という。堂内に残る親子地蔵尊は厄難を救い、極楽へ導いてくれるといわれている。また、珍しい絵解き(縁起の絵を見せながら住職が独特の口調で行う説教法話)が伝承されていて、刈萱上人一代記伝の絵解をしてくれる(1回15分、要予約)。境内の鐘は地元出身の草川信が作曲した『夕焼け小やけ』のモチーフになったといわれ、作詞家・中村雨紅直筆の歌碑が立っている。
善光寺の仁王門。宝暦2年(1752)建立のものが慶応1年(1865)に再建されたが、明治24年(1891)火災で焼失したため、現在の仁王門は大正7年(1918)に再建されたもの。左右に立つ阿吽の仁王像は高さ約5mのかつらの寄木造りで、高村光雲と弟子の米原雲海による傑作。鉤鎖を握り開口するのが阿形、金剛杵[こんごうしょ]を手にして閉口するのが吽[うん]形で、迫力ある憤怒の形相が印象的。
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