
戸隠神社
戸隠神社は、戸隠山の麓にある奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社五社の総称。天照大神の天の岩戸開き神話にゆかりの神々を中心に祀る。
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戸隠神社は、戸隠山の麓にある奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社五社の総称。天照大神の天の岩戸開き神話にゆかりの神々を中心に祀る。
戸隠神社にあり、祭神は中社の祭神の御子、天表春命[あめのうわはるのみこと]。技芸、安産、厄除けなどに御利益があるという。200段余りの石段を登ると、荘厳な社殿が姿を現す。建立は康平元年(1058)とされ、拝殿の柱や棟木に施された龍などの彫刻は必見。
約5万9000平方mの境内に、大勧進・大本願と39の宿坊からなる大寺院。「牛にひかれて善光寺参り」で全国的に知られ、年間約600万人もの参拝者が訪れる。創建以来約1400年、源頼朝や武田信玄、徳川家康など時の権力者からの信仰が厚く、江戸時代になると庶民の参詣も増えた。善光寺詣にかかせないお戒壇めぐりは、本堂床下の真っ暗な回廊を手さぐりでめぐり、ご本尊の下にある極楽の錠前にふれてご本尊とご縁を結ぶというもの。毎朝行われるお朝事の前後に住職が参拝者の頭を数珠で撫でて功徳を授けるお数珠頂戴もぜひ(状況により中止になる場合あり、詳細は要問合せ)。
善光寺北側の桜坂から雲上殿までの道路は両側が桜で満開になり、大変すばらしい。高台にあるため、長野市街が一望できる。
かるかや山西光寺は善光寺の門前町にある浄土宗の古刹。刈萱上人とその子、石童丸ゆかりの寺で、善光寺参詣の人々が必ず立ち寄る寺として栄えてきた。親子が刻んだ二体の刈萱親子地蔵尊を本尊とし、境内には芭蕉句碑や親子の銅像などが立つ。希望により寺宝である江戸期作の『刈萱道心石童丸御親子御絵伝』の一代記を語ってくれることから、絵解きの寺としても知られている。
台座から光背の頂部分まで、約5mの阿弥陀仏座像が祀られている。
善光寺の仁王門。宝暦2年(1752)建立のものが慶応1年(1865)に再建されたが、明治24年(1891)火災で焼失したため、現在の仁王門は大正7年(1918)に再建されたもの。左右に立つ阿吽の仁王像は高さ約5mのかつらの寄木造りで、高村光雲と弟子の米原雲海による傑作。鉤鎖を握り開口するのが阿形、金剛杵[こんごうしょ]を手にして閉口するのが吽[うん]形で、迫力ある憤怒の形相が印象的。
祭神は、日本神話で名高い天照大神が天の岩窟に隠れた時、天の岩戸を怪力で開けられたといわれる天手力雄命。戸隠神社の本社として、開運・心願成就・五穀豊穣などを願う人々が全国から集ってくる。赤い随神門はもとの仁王門。茅葺き屋根が荘厳な雰囲気を醸し出す。樹齢400年の杉並木が続き、並木の間には江戸時代まであった大講堂や院坊跡の石積みも見られ、修験道が盛んだった往時を伝える。奥社の左手には、戸隠の地主神で、水の神、縁結び・虫歯の神、農業の神として信仰を集める九頭龍社もある。
この地には、平安時代の伝説の鬼女紅葉[もみじ]を供養する鬼立山地蔵院があったが、その後、江戸時代に曹洞宗の禅師を迎え松巖寺となった。本堂の欄間には曹洞宗の開祖・道元[どうげん]禅師の一代記が彫られており、格天井には見事な花鳥画がはめられている。妖術を使ったという鬼女紅葉[きじょもみじ]の伝説は興味深い。
39ある宿坊の一つ。善光寺一山の寺院として、また永代宿坊として知られる。彩りも美しい伝統の精進懐石が人気で、2160~6480円。お抹茶とともにいただく、手作りにこだわった創作和菓子のデザートも美味。昼食2160円~、夕食5400円~他応相談。
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