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皇紀元年(紀元前660)創祀と伝えられる、常陸国一の宮で、国指定の史跡。水戸藩初代藩主・徳川頼房[とくがわよりふさ]が奉納した鮮やかな朱色の楼門は、熊本県阿蘇神社、福岡県筥崎宮[はこざきぐう]と並ぶ日本三大楼門の一つ。その先には本宮(重要文化財)が厳かに鎮座している。禊[みそぎ]の場として有名な御手洗池のそばには、名物のみたらしだんごを売る茶店が並び一服できる。
古河歴史博物館にほど近い長谷観音は、正式名は明観山観音院長谷寺という。本堂には明応2年(1493)に初代・古河公方足利成氏が鎌倉の長谷寺から勧請した高さ2mあまりある木造の十一面観世音菩薩立像を安置する。鎌倉、大和の長谷寺とともに日本三大長谷のひとつに数えられる。古河城の鬼門除けとして、かつては歴代の古河城主の祈願所でもあった。現在も初詣や厄払いに多くの人が訪れる。祈願(11時・14時)の際には本堂内の菩薩像を拝観できる。
律令国ごとに鎮座する「総社」の1つで、常陸国(現茨城県)の神々を祀る。国指定史跡「常陸国府跡」に隣接する高台に約1000年前に鎮座したのが始まり。中世には鎌倉将軍家をはじめ武家の崇敬を受けた。最重要の祭りである「例大祭(石岡のおまつり)」には江戸から明治時代にかけて石岡市内の様々な祭りの要素が取り入れられ、市民が「関東三大祭」と豪語する賑やかな祭礼に発展。約30台の「幌獅子」や15台の江戸型の山車が大神輿とともに練り歩き、毎年数十万人の観光客が訪れる。
道路から坂道を下った窪地に建つため、別名を穴寺とも呼ばれる臨済宗妙心寺派の寺。本堂天井に描かれた迫力満点の竜の絵は、江戸時代後期の画家・谷文晁が描いたと伝わるもの。日照りに困った農民が雨乞いの際に水をかけたところ、見事に雨を降らせたという伝説が伝わっている。本尊である檜の寄木造の釈迦如来立像は鎌倉時代末期の作と推定されている典型的な清涼寺式像で、国の重要文化財に指定。収蔵庫に安置されているが、毎年4月8日に一般開帳される。
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