
輪王寺大猷院 拝殿・相之間・本殿
輪王寺大猷院は拝殿・相之間・本殿が一つの棟になる権現造になっている。なかに入ると、まず、広々とした拝殿で、狩野探幽[かのうたんゆう]、狩野永真安信[かのうえいしんやすのぶ]筆の唐獅子の図がある。その奥が相之間。そこからさらに進むと、本殿に至る。ここは一段床が高くなっている仏殿様式。正面御宮殿には大猷院殿(家光公)の御尊像を祀っている。数多くの彫刻が施され、金をふんだんに取り入れていることから、金閣殿ともよばれている。
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輪王寺大猷院は拝殿・相之間・本殿が一つの棟になる権現造になっている。なかに入ると、まず、広々とした拝殿で、狩野探幽[かのうたんゆう]、狩野永真安信[かのうえいしんやすのぶ]筆の唐獅子の図がある。その奥が相之間。そこからさらに進むと、本殿に至る。ここは一段床が高くなっている仏殿様式。正面御宮殿には大猷院殿(家光公)の御尊像を祀っている。数多くの彫刻が施され、金をふんだんに取り入れていることから、金閣殿ともよばれている。
二荒山神社中宮祠の境内にある宝物館。日本一の大太刀の袮々切丸[ねねきりまる]をはじめ、国宝を含む貴重な刀剣や男体山頂祭祀遺跡出土品、南北朝時代の神輿、前田青邨作の大壁画「山霊感応」などを展示している。
延暦7年(788)、勝道上人が建立した日光山輪王寺の別院。弘法大師や慈覚大師も訪れたことにより、ますます信仰も深まったといわれる。その名の通り境内には勝道上人が発見した薬師湯があり、行事のない日には観光客でも入浴できる。源泉かけ流しのにごり湯で、療養、延命のご利益のある名湯として親しまれている。
二荒山神社楼門の次にあり、東側の入口にあたる鳥居。現在のものは、寛政11年(1799)に造り替えられたもの。足元には仏式を思わせる蓮華が刻まれている。
二荒山神社中宮祠の拝殿右側にある鳥居。明和6年(1769)建立。基脚の蓮弁に神仏習合の名残りをとどめる珍しいもので、国の重要文化財に指定されている。
延暦3年(784)、日光山の開祖・勝道上人が男体山登頂後に修行の場として建立した。本堂の本尊は、男体山を極めた勝道上人が、湖上に現れた千手観音を彫り上げたものといわれ、桂の木を根がついたままの立木の状態で彫ったという十一面千手観音菩薩像・立木観音(国重要文化財)。坂東三十三観音霊場の第十八番札所でもある。また、高台に建つ「五大堂」は不動明王、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の「五大明王」が安置されている御堂。ここからの中禅寺湖の眺めはまさに絶景。
600段の石段を登った岩船山山頂に建てられ、かつては関東の高野山とよばれ一大霊場として栄えた。また、子授・子育・安産の地蔵信仰としても有名で春・秋彼岸には、参拝者が多く訪れる。山門と三重塔は県指定文化財。
佐野駅北約4kmに位置する唐沢山の山頂、関東平野が一望できる唐沢城本丸跡地に立つ神社。樹木がうっそうと茂る静寂の中で周辺には、現在でも石垣や石塁の姿を残している。この一帯はツツジの名所としても知られる。
川崎大師、西新井大師と並ぶ関東三大師の一つで平将門[たいらのまさかど]の討伐を命ぜられた藤原秀郷[ひでさと]の戦勝祈願により天慶7年(944)創建された。正式名称は春日岡山惣宗寺といい、比叡山18代座主慈恵[じえい]大師を祭っている。正月などには、厄除を願う大勢の参拝客で賑わう。
その昔、黒羽藩[くろばねはん]の姫が食事が取れなくなる奇病にかかった際、祈願し回復したという言い伝えから名付けられた。日蓮上人が九尾の狐の妖力封殺を念じ、二つに割ったとされる数珠割り石や、南無妙法蓮華経を弟子が爪で刻んだという経題石が境内に残る。
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