
輪王寺大猷院 御水舎
輪王寺大猷院の仁王門をくぐり、石畳の広場の右側にある水舎。現在はほとんど消えているが天井には狩野永真安信[かのうえいしんやすのぶ]による龍が描かれている。その龍が水盤に映し出されることから、「水鏡の竜」ともよばれる。
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輪王寺大猷院の仁王門をくぐり、石畳の広場の右側にある水舎。現在はほとんど消えているが天井には狩野永真安信[かのうえいしんやすのぶ]による龍が描かれている。その龍が水盤に映し出されることから、「水鏡の竜」ともよばれる。
石段の上に立つ楼門で、日光山内最大とされる。門の上部には後水尾上皇[ごみずのおじょうこう]の筆による「大猷院」の額が掲げられ、軒下には彩色豊かな装飾が施されている。名前の由来は、四天王のうちの表に祭ってある持国天と広目天から。
延暦7年(788)、勝道上人が建立した日光山輪王寺の別院。弘法大師や慈覚大師も訪れたことにより、ますます信仰も深まったといわれる。その名の通り境内には勝道上人が発見した薬師湯があり、行事のない日には観光客でも入浴できる。源泉かけ流しのにごり湯で、療養、延命のご利益のある名湯として親しまれている。
坂上田村麻呂が蝦夷討伐の際に戦勝を祈願し、千手観音を安置。その後嘉祥元年(848)に慈覚大師が開創したという古刹。境内には風神・雷神像が並び、川口松太郎の小説で知られる蛇姫様の墓もある。
慈光寺のヒガンザクラは見ごたえアリ。
東照宮境内上神庫[かみじんこ]の向いに立つ、神に仕える神馬をつなぐ簡素な厩舎。境内唯一の素木[しらき]造の建物。猿は病気から馬を守るという信仰から長押上には8面の猿の彫刻があり、誕生から大人に成長する猿の姿を描きながら人の生き方を表わしている。その中でも参道側左から2番目にある「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻(重要文化財)は有名で、想像の象や眠猫とともに東照宮三彫刻といわれている。
東照宮最大の建物で別名、薬師堂といわれている。寛永の大造替のときに建てられ、単層入母屋造、高さ15m、正面20.8m、側面13m、総漆塗極彩色の華麗な建築である。当時、徳川家康は薬師如来の化身であると考えられたといわれ、内部には東照権現の本地仏、薬師如来を安置している。また、天井に描かれている鳴龍も有名。本地堂は、昭和36年(1961)に焼損しており、現在の建物は昭和38~43年(1963~68)に再建されたものである。
二荒山神社楼門の次にあり、東側の入口にあたる鳥居。現在のものは、寛政11年(1799)に造り替えられたもの。足元には仏式を思わせる蓮華が刻まれている。
輪王寺大猷院は拝殿・相之間・本殿が一つの棟になる権現造になっている。なかに入ると、まず、広々とした拝殿で、狩野探幽[かのうたんゆう]、狩野永真安信[かのうえいしんやすのぶ]筆の唐獅子の図がある。その奥が相之間。そこからさらに進むと、本殿に至る。ここは一段床が高くなっている仏殿様式。正面御宮殿には大猷院殿(家光公)の御尊像を祀っている。数多くの彫刻が施され、金をふんだんに取り入れていることから、金閣殿ともよばれている。
川崎大師、西新井大師と並ぶ関東三大師の一つで平将門[たいらのまさかど]の討伐を命ぜられた藤原秀郷[ひでさと]の戦勝祈願により天慶7年(944)創建された。正式名称は春日岡山惣宗寺といい、比叡山18代座主慈恵[じえい]大師を祭っている。正月などには、厄除を願う大勢の参拝客で賑わう。
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