證誠寺
狸ばやしの童謡のモデルとなった寺。浄土真宗本願寺派の学問寺として、また、寺子屋として古くから親しまれてきた。境内で踊っていたタヌキと和尚の伝説にちなみ、野口雨情[うじょう]が作詞、中山晋平が作曲したのが『証城寺のたぬきばやし』だ。萩やヤマブキの名所として知られる庭園には、野口雨情の詩碑のほか、大タヌキを葬ったという狸塚もある。
- 「木更津駅」から徒歩9分
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狸ばやしの童謡のモデルとなった寺。浄土真宗本願寺派の学問寺として、また、寺子屋として古くから親しまれてきた。境内で踊っていたタヌキと和尚の伝説にちなみ、野口雨情[うじょう]が作詞、中山晋平が作曲したのが『証城寺のたぬきばやし』だ。萩やヤマブキの名所として知られる庭園には、野口雨情の詩碑のほか、大タヌキを葬ったという狸塚もある。
正式名は鳴鐘山東勝寺[めいしょうざんとうしょうじ]で、桓武天皇の時代(781~806)創建の真言宗豊山派の古刹。江戸初期、重税に苦しむ農民のために立ち上がった義民・佐倉宗吾[さくらそうご]、本名木内惣五郎[きうちそうごろう]の菩提寺として知られる。境内には惣五郎の遺品を陳列する霊宝殿、惣五郎の生涯を人形によって再現した宗吾御一代記館などが建つ。
安房国一の宮として知られる格式の高い神社。御祭神・天太玉命[あめのふとだまのみこと]はすべての産業の総祖神であり、房総を開拓した当社・下の宮の御祭神・天富命[あめのとみのみこと]の祖神(祖父)として上の宮に祀られ、特にものづくりや商売繁盛の神として広く崇められている。境内は四季の趣に満ち、一年を通して季節ごとの模様を見せてくれる。ことに桜と銀杏の黄葉の時期の境内は華やかに彩られる。
坂東三十三カ所観音霊場の第27番札所。神亀5年(728)、漁師の網にかかった十一面観音像を奉安したのに始まり、弘仁年間(810~24)に東国巡錫[じゅんしゃく]の弘法大師が開眼。十一面観音を安置する観音堂は、道路の向かい側、本坊から北へ100m離れた場所にある。
厄除け、方位除け、交通安全などの祈願のほか、縁結び大社、学業天神がある。歴史上の名僧や全七福神の参拝もでき、良縁が結べる「恋の願かけ巡り」もある。お守りの種類が100種類以上あることでも有名で、選ぶのも楽しい。御朱印も種類あり。
昭和44年(1969)に復元された磨崖仏としては日本最大の大仏さま。総高は31.05m、奈良東大寺大仏の約1.8倍。正式には「薬師瑠璃光如来」と称し、世界平和の象徴として復元建立された。また、中腹エリアにある日本寺鐘は国指定重要文化財である。
仲町朝市通りの突き当りに位置し、勝浦朝市の発祥の場所としても知られる日蓮宗の古刹。境内東側に県の指定天然記念物の樹齢千数百年を超える乳イチョウの巨木がある。枝から垂れる乳柱は最大長2m以上。約60本あり、妊産婦の乳不足解消に霊験あらたかと伝えられている。寺伝によれば千余年の昔、乳不足に悩む婦人を治したある聖僧がいた。その僧の死後、村人たちは僧の徳を偲んで墓上にイチョウを植えたが、そのイチョウは生長するにつれて乳柱を生じ、乳の出ない女性には効能が顕著だ。
承安元年(1171)の創建と伝えられ、天照大神[あまてらすおおみかみ]を主神として、誉田別尊[ほんだわけのみこと]、天児尾根命[あめのこやねのみこと]、素登織姫命[そとおりひめのみこと]、表筒雄命[うわつつおのみこと]の5神を祭る。毎月8月の第1日曜に行われる五所神社例祭では、2台の神輿が五穀豊穣を祈って練り歩く。
ゆるやかな石段を上った丘の上に見事な彫刻を施した社殿が立ち、眼下に利根川河口の流れを見下ろす。大漁節に唄われるほど信仰の厚い漁師たちの守り神だ。
石を切り出した壁面に掘られた100尺(30.3m)の大観音石像は、昭和41年(1966)に完成したもの。交通安全の守り本尊として、神秘的な雰囲気を醸し出している。
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