
宗吾霊堂
正式名は鳴鐘山東勝寺[めいしょうざんとうしょうじ]で、桓武天皇の時代(781~806)創建の真言宗豊山派の古刹。江戸初期、重税に苦しむ農民のために立ち上がった義民・佐倉宗吾[さくらそうご]、本名木内惣五郎[きうちそうごろう]の菩提寺として知られる。境内には惣五郎の遺品を陳列する霊宝殿、惣五郎の生涯を人形によって再現した宗吾御一代記館などが建つ。
- 「宗吾参道駅」から徒歩17分/「公津の杜駅」から徒歩24分
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正式名は鳴鐘山東勝寺[めいしょうざんとうしょうじ]で、桓武天皇の時代(781~806)創建の真言宗豊山派の古刹。江戸初期、重税に苦しむ農民のために立ち上がった義民・佐倉宗吾[さくらそうご]、本名木内惣五郎[きうちそうごろう]の菩提寺として知られる。境内には惣五郎の遺品を陳列する霊宝殿、惣五郎の生涯を人形によって再現した宗吾御一代記館などが建つ。
地元では崖の観音として親しまれるように、観音堂は舞台造で、船形山中腹の断崖に、朱塗りの堂が張り付くように立っている。行基により養老元年(717)に開基され、関東大震災後、大正14年(1925)に再建された。堂の奥には行基が漁師の安全と豊漁を祈願して刻んだとされる高さ1.5mの磨崖仏がある。
東漸寺は、今から544年前の文明13年(1481)、経譽愚底運公上人により、当初、根木内(この地より1km北東)に開創した。この後約60年後の天文年間に現在地に移され、江戸初期に関東十八檀林の一つとされた名刹。春にはシダレザクラやソメイヨシノ、ヤマブキが咲き、秋には300本を越えるもみじが紅葉するなど、四季折々の自然に触れることができ、日本の伝統美を感じることができる。また、3月下旬の花見、4月の御忌まつり、11月下旬の紅葉の時期など、毎年多数の参詣者が訪れる。
新大利根橋がかかる利根川のほとり、こんもりと茂った亀の甲山と呼ばれる小高い丘にあるのが、浅草弁天山(東京都)、江ノ島神社(神奈川県)と並び関東三弁天として名高い「布施弁天」。正しくは東海寺といい、寺の正面には見上げるような石段が続き、中ほどには弁天さまにちなんだ竜宮造りの重厚な楼門[ろうもん]がそびえたっている。本堂・楼門・鐘楼は千葉県有形文化財に指定。
養老渓谷駅から、宝衛橋、白鳥橋の2つの橋を渡って、観音橋に到着。太鼓橋がふたつ連なる朱塗りの橋で、歩いてみるとかなりの勾配を感じられる。出世観音は正式名称は立國寺。石橋山合戦に破れた源頼朝が観音様に願を懸けた場所と伝わる。
昭和44年(1969)に復元された磨崖仏としては日本最大の大仏さま。総高は31.05m、奈良東大寺大仏の約1.8倍。正式には「薬師瑠璃光如来」と称し、世界平和の象徴として復元建立された。また、中腹エリアにある日本寺鐘は国指定重要文化財である。
神亀2年(725)、聖武天皇の詔勅により行基が開き、弘法大師が修行したという曹洞宗の古刹。かつては7堂12院100坊を数えた。総面積33万平方mに及ぶ広い境内には、本尊の薬師瑠璃光如来坐像をはじめ、百尺観音や東海千五百羅漢が点在。本尊は高さ約31mある露座の石の大仏で、磨崖仏としては日本一の大きさを誇る。天明3年(1783)、上総桜井の名工・大野甚五郎らが3年かけて刻み、昭和44年(1969)に復元。平成19年(2007)には、鎌倉時代の様式で薬師本殿が再建された。
境内に全長16mの巨大な青銅製ガンダーラ様式の涅槃仏が横たわる。釈迦の最期の姿を模した仏像で、悟りの境地を象徴している。まず線香を供えて3段のらせん状の台座を時計回りし、仏像の足の裏に刻まれた紋に頭をつける右繞三匝[うにょうさんそう]というインドの礼法でお参りする。特に足腰の病に御利益があるといわれ、車椅子での参拝も可能。
南房総では数少ない紅葉の名所の一つ。小松寺では、毎年11月下旬~12月上旬頃にモミジやイチョウが色鮮やかに色づき、多くの観光客を楽しませている。
緑の中に静かに佇む古刹。神亀3年(726)、僧・行基(ぎょうき)が聖武天皇の勅願により創建したといわれ、創建当時は石塔寺、後に足利頼氏がこの寺で養育さたことから、頼氏の幼名石堂丸にちなんで改名された。室町後期建築の寄棟造の本堂をはじめ、薬師堂、多宝塔、本堂に安置されている本尊十一面観音立像などは国の重要文化財に指定されている。本尊は6年に一度開帳されている。
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