
三石山観音寺
標高282mの山頂に3つの大岩があることから名付けられた三石山。三石山観音は、その大岩の真下に本堂の観音堂が立つ真言宗の寺で、正式には観音寺という。願い事が1つは叶うといわれ「ひとこと観音」ともよばれている。応永16年(1409)に覚恵上人により開山され、本尊は十一面観世音菩薩と薬師瑠璃光如来の2体。6年に一度の御開帳の時のみ拝観できる。本堂脇の細い道を上っていくと奥の院があり、縁結びの神が祭られている。
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標高282mの山頂に3つの大岩があることから名付けられた三石山。三石山観音は、その大岩の真下に本堂の観音堂が立つ真言宗の寺で、正式には観音寺という。願い事が1つは叶うといわれ「ひとこと観音」ともよばれている。応永16年(1409)に覚恵上人により開山され、本尊は十一面観世音菩薩と薬師瑠璃光如来の2体。6年に一度の御開帳の時のみ拝観できる。本堂脇の細い道を上っていくと奥の院があり、縁結びの神が祭られている。
木更津駅前の富士見通り沿いにある日蓮宗の寺。薬医門をくぐると、境内には本堂、七面堂、客殿、鐘楼堂などが立つ。実話をもとに書かれた歌舞伎の名狂言『与話情浮名横櫛』[よわなさけうきなのよこぐし]で有名な切られ与三郎のものと伝えられる墓があり、歌舞伎役者も参拝に訪れる。
浦賀水道に面した標高120mの大坪山山頂に立つ高さ56mの観音像。地元出身の材木商である宇佐美氏が戦没者慰霊のために4年の歳月をかけて建てたもので、昭和36年(1961)に完成した。胎内に13仏7福神が安置され、314段のらせん階段を上っていく途中、腕、肩、冠にある展望窓から東京湾が望め、冠部分にある展望台からの眺めもよい。
境内に全長16mの巨大な青銅製ガンダーラ様式の涅槃仏が横たわる。釈迦の最期の姿を模した仏像で、悟りの境地を象徴している。まず線香を供えて3段のらせん状の台座を時計回りし、仏像の足の裏に刻まれた紋に頭をつける右繞三匝[うにょうさんそう]というインドの礼法でお参りする。特に足腰の病に御利益があるといわれ、車椅子での参拝も可能。
弘安4年(1281)建立の日蓮宗本山の一つ。文永元年(1264)、この地を訪れた日蓮が、念仏宗の門徒東条景信[とうじょうかげのぶ]に襲われた、いわゆる小松原の法難の際、日蓮をかばって討ち死にした弟子鏡忍坊と工藤吉隆の菩提を弔うために建てられた。境内には難にあったときに鬼子母神が現れて日蓮を守ったという巨木・降神槙[こうじんのまき]が残っている。アジサイの名所としても有名。
地元では崖の観音として親しまれるように、観音堂は舞台造で、船形山中腹の断崖に、朱塗りの堂が張り付くように立っている。行基により養老元年(717)に開基され、関東大震災後、大正14年(1925)に再建された。堂の奥には行基が漁師の安全と豊漁を祈願して刻んだとされる高さ1.5mの磨崖仏がある。
釈迦の最後の姿を模して横たわる釈迦涅槃仏は、圧倒的な存在感。全長16mで青銅製ガンダーラ様式としては世界最大級。
御祭神の日本武尊が東征の際に、この地で吉備武彦、大伴武日連たちと待ち合わせたことから「待土」が松戸といわれるようになったと伝わる。春は境内のソメイヨシノが美しい。令和元年(2019)10月18日に、天皇陛下の御即位を奉祝して修復された大神輿に四神像、獅子屋台、大榊、日章月章旗が供奉する神幸祭が斎行される。
養老渓谷駅から、宝衛橋、白鳥橋の2つの橋を渡って、観音橋に到着。太鼓橋がふたつ連なる朱塗りの橋で、歩いてみるとかなりの勾配を感じられる。出世観音は正式名称は立國寺。石橋山合戦に破れた源頼朝が観音様に願を懸けた場所と伝わる。
昭和44年(1969)に復元された磨崖仏としては日本最大の大仏さま。総高は31.05m、奈良東大寺大仏の約1.8倍。正式には「薬師瑠璃光如来」と称し、世界平和の象徴として復元建立された。また、中腹エリアにある日本寺鐘は国指定重要文化財である。
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