
諏訪神社
大神惟季が下総国大須賀荘領主を任ぜられた際、領内鎮護の神として信濃国諏訪大社より勧請。その後、産業開拓の神・知徳の神として、近年は進学の神として尊崇されてきた。現在の本殿は1853年(嘉永6)造営のもので、毎年10月に行われる例大祭「佐原の大祭(秋祭り)」は国の重要無形民俗文化財に指定されている。
- 「佐原駅」から徒歩9分
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大神惟季が下総国大須賀荘領主を任ぜられた際、領内鎮護の神として信濃国諏訪大社より勧請。その後、産業開拓の神・知徳の神として、近年は進学の神として尊崇されてきた。現在の本殿は1853年(嘉永6)造営のもので、毎年10月に行われる例大祭「佐原の大祭(秋祭り)」は国の重要無形民俗文化財に指定されている。
承安元年(1171)の創建と伝えられ、天照大神[あまてらすおおみかみ]を主神として、誉田別尊[ほんだわけのみこと]、天児尾根命[あめのこやねのみこと]、素登織姫命[そとおりひめのみこと]、表筒雄命[うわつつおのみこと]の5神を祭る。毎月8月の第1日曜に行われる五所神社例祭では、2台の神輿が五穀豊穣を祈って練り歩く。
九十九里浜の南端にあり、日本の東に位置する1200年以上の歴史と格式をもつ「延喜式神名帳」にある神社。海の女神・玉依姫命[たまよりひめのみこと]を祀り、古来より女性、特に母性を尊び守護する神社として縁結び・子授け・安産・子育てに御神徳があるといわれる。社殿は、江戸中期の建築で珍しい総黒漆塗りの権現造。毎年9月に行われる県指定無形民俗文化財の上総十二社祭りには、十数基の神輿が参集し、九十九里の大海原を背に裸若衆が疾走する姿が勇壮かつ圧巻だ。境内には、雄株と雌株の間に子どものイチョウが育つ「子授りイチョウ」や「さざれ石」「はだしの道」などがある。
日蓮宗の古刹で創建は建治2年(1276)。茂原の領主斎藤兼綱[さいとうかねつな]が、日蓮聖人がこの地に滞在した折に入信し、邸内に堂宇を建て常楽山妙光寺と称した。竜宮城を思わせる高さ24mの多宝塔式山門が目を引く。茂原法華七福神、弁財天勧請。
鎌倉時代中期に開山された寺院で、現在では関東厄除け三不動のひとつと数えられている。厄除け、方位除け、交通安全などの祈願のほか、縁結び大社、学業天神がある。歴史上の名僧や全七福神の参拝もでき、良縁が結べる「恋の願かけ巡り」もある。お守りの種類が100種類以上あることでも有名で、選ぶのも楽しい。御朱印も11種類あり。
ゆるやかな石段を上った丘の上に見事な彫刻を施した社殿が立ち、眼下に利根川河口の流れを見下ろす。大漁節に唄われるほど信仰の厚い漁師たちの守り神だ。
坂東三十三カ所観音霊場の第27番札所。神亀5年(728)、漁師の網にかかった十一面観音像を奉安したのに始まり、弘仁年間(810~24)に東国巡錫[じゅんしゃく]の弘法大師が開眼。十一面観音を安置する観音堂は、道路の向かい側、本坊から北へ100m離れた場所にある。
奈良時代に僧・行基(ぎょうき)が諸国行脚の際、成東に立ち寄り、この近海に海難の多いことから海難除けの不動明王尊像を刻み、寺を建立したのが始まりと伝わる。正式名称は長勝寺だが、江戸中期、この不動尊の常夜灯の明かりが荒波を切るように沖合に漂流していた漁船に届き、これを救ったことから浪切不動尊とよばれるようになった。山門をくぐると、標高30mの石塚山中腹に懸崖造[けんがいづくり]の朱塗りの本堂が立つ。トイレがないため、参拝の際は事前に済ませておくと良い。
川崎大師(神奈川県)、西新井大師(東京都)と並び、関東の厄除三大師として知られ、今も多くの人々の信仰を集める名刹。この寺を中心として周辺一円の寺院を巡拝する札打ちは250年の伝統がある。また、寺宝には国指定重要文化財の釈迦如来、薬師如来、十一面観音、地蔵菩薩の4体の銅造りの懸仏(かけぶつ)のほか、曼荼羅や中世の古文書など貴重な文化財が多い。伊能忠敬と伊能家一族の菩提寺でもある。
初代神武天皇の御代に創建されたと伝わる古社。杉の巨木が生い茂る神域・香取の森に、武神を祀る社殿が佇む。現在の本殿(重要文化財)は、元禄13年(1700)に徳川第5代将軍・綱吉が造営。朱塗りの楼門(重要文化財)も同年の建造。明治・大正期の海軍軍人・東郷平八郎の額が掛かり、右手に黄門桜とよばれる徳川光圀手植えの桜が残る。宝物館では、神宮に伝わる海獣葡萄鏡(国宝)などの美術工芸品や古文書を展示。
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