
円成寺
開基は天平時代とも、平安時代ともいわれる名刹。藤原時代造営の池を中心とする浄土式庭園(名勝)が広がり、そこから一段高くなった所に、藤原時代の阿弥陀如来坐像(重要文化財)を安置する室町再建の本堂(重要文化財)や楼門(重要文化財)が立つ。多宝塔安置の木造大日如来坐像(国宝)は、鎌倉時代の仏師運慶[うんけい]が青年時代に彫った傑作として名高い。
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開基は天平時代とも、平安時代ともいわれる名刹。藤原時代造営の池を中心とする浄土式庭園(名勝)が広がり、そこから一段高くなった所に、藤原時代の阿弥陀如来坐像(重要文化財)を安置する室町再建の本堂(重要文化財)や楼門(重要文化財)が立つ。多宝塔安置の木造大日如来坐像(国宝)は、鎌倉時代の仏師運慶[うんけい]が青年時代に彫った傑作として名高い。
御本尊・丈六阿弥陀如来坐像は恵心僧都源信の作と伝えられ、御本尊前にて御祈祷を受けると、長患いなく安らかに極楽往生を遂げることができるという霊験がある。境内の多宝塔と共に国指定重要文化財でもある。
龍田風神とも呼ばれる風の神を祭る式内社。崇神[すじん]天皇の時代に凶作が長く続いた際、神のお告げをもとに社殿を創建。気を司る天御柱[あまのみはしら]大神と国御柱[くにのみはしら]大神を祭ったところ、五穀豊穣になったと伝える。近年は、航海や航空の安全を祈る参拝客も多い。7月第1日曜の風鎮[ふうちん]祭は、天武4年(675)には営まれていたという祭りで、風神太鼓や神楽を奉納。豪快な手筒花火で幕を閉じる。
高取山の中腹にある、西国三十三カ所観音霊場第6番札所。大宝3年(703)の創建といわれ、平安時代に大いに栄えた。本尊は、眼病平癒の霊験あらたかという十一面千手観音坐像で、人形浄瑠璃『壷阪霊験記』でも知られる仏さまだ。境内には重要文化財の三重塔や礼堂などに交じって、昭和以降に造立された、高さ20mもの大観音石像や涅槃石像、釈迦の生涯を描いた石造レリーフなどが並ぶ。
檜原神社から山辺の道を南へ5分ほど行った地に、ひっそり立つ。奈良~平安時代初期の僧玄賓[げんぴん]が隠棲した所と伝え、もと三輪山の檜原谷にあったが、明治の神仏分離で現在地に移された。小堂に藤原時代作の木造不動明王像(重要文化財)や玄賓像を祭り、謡曲『三輪』の舞台でも知られる。
宇陀市屈指の大社で水の配分を司る神を祀る。創祀は崇神天皇の時代にまでさかのぼるといわれ、延喜式にも記載された古社。大和の式内社の水分神社はここと葛城[かつらぎ]、吉野、都祁[つげ]の4社だけ。緑に包まれた鎌倉時代の本殿(国宝)は、一間社隅木入[すみぎいり]春日造の3棟が並び立ち、速秋津彦[はやあきつひこ]命、天水分[あめのみくまり]神、国水分[くにのみくまり]神の水分三座を祀る。本殿に向かって右側に、室町中期の摂社春日神社本殿(重要文化財)と室町末期の摂社宗像[むなかた]神社本殿(重要文化財)が並んでいる。
天長元年(824)、淳和天皇の勅願で空海が開いたと伝わる古刹。かつては大寺だったが、兵火と廃仏毀釈で衰えた。平安時代の端正な鐘楼門(重要文化財)は唯一の創建当初の遺構。本尊の阿弥陀三尊像(重要文化財)は藤原時代末期の作だが、玉眼[ぎょくがん]を使った最古の仏像。横11m、縦4mの大地獄絵が例年10月23日~11月30日に開帳される。また、境内1万2000坪にわたり四季折々の花が咲き、春はツツジ、杜若、秋は紅葉(全国紅葉百選)が美しい「花と文化財の寺」である。
門前に「史跡天誅組本陣址」の石標が立つ。大和に挙兵した天誅組は文久3年(1863)8月に五條代官所を襲撃、この寺を本陣とし五條仮政府を設けたことから、明治維新発祥の地ともいわれる。本堂前には、代官鈴木源内ら5人の首を洗ったという石手水鉢[ちょうずばち]が置かれている。
役行者が開いたとも、空海が大峯修行の拠点にしたともいわれる古社。芸能の神として知られ、篤く信仰する音楽関係者も多い。能楽とも縁が深く、室町時代には能楽座が結成された。拝殿には能舞台が併設されており、社宝に室町以降の能面や装束、謡本を多数所蔵。近年は「パワースポット」としても知られる。
大峯山[おおみねさん]を目指す人が必ず参詣する、修験道の根本道場。役行者が洞川で泉を発見し、八大龍王を祭ったのが始まりという。行者は境内の清水で身を清めてから入山する。
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