
南大門
東大寺の正門。重層入母屋造の豪壮な門で、高さ約25m。鎌倉復興期に再建された、大仏様[だいぶつよう]の代表的な遺構。阿[あ]・吽形[うんぎょう]の2体の木造金剛力士(仁王)像(国宝)は、運慶[うんけい]・快慶[かいけい]など、慶派仏師一門がわずか69日で制作したと伝わる。
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東大寺の正門。重層入母屋造の豪壮な門で、高さ約25m。鎌倉復興期に再建された、大仏様[だいぶつよう]の代表的な遺構。阿[あ]・吽形[うんぎょう]の2体の木造金剛力士(仁王)像(国宝)は、運慶[うんけい]・快慶[かいけい]など、慶派仏師一門がわずか69日で制作したと伝わる。
寺伝では東大寺の前身とされる金鍾寺[きんしょうじ]の遺構といわれる。天平時代の建築で東大寺最古の建物だが、正面の礼堂は鎌倉時代に修造されたもの。本尊の脱活乾漆造不空羂索[ふくうけんさく]観音立像(国宝)は高さ約3.6m。見事な宝冠を戴いた、3目8臂の威厳に満ちた表情が印象的だ。須弥壇左右に立つ脱活乾漆造梵天・帝釈天立像(国宝)は、高さ約4mの堂内最大の巨像。内陣の四隅で本尊を護る脱活乾漆造四天王立像(国宝)もそれぞれ高さが約3mある。塑造金剛神立像(国宝)は12月16日のみ開扉される秘仏。日光・月光菩薩立像は東大寺総合文化センター内ミュージアムに安置されている。
興福寺の門跡寺院だった大乗院の庭園跡。平成22年(2010)の整備完了後に一般公開された。庭園南側に立つ大乗院庭園文化館からも望める。
養老5年(721)、藤原不比等[ふじわらのふひと]の1周忌に際し建立された。堂々とした八角円堂だが、現在の建物は鎌倉時代の再建。堂内には運慶一門が制作した鎌倉時代の本尊弥勒如来像(国宝)の、無著[むじゃく]・世親[せしん]菩薩像(国宝)などを安置、毎年春と秋に特別公開される。
唐招提寺にある、現存する天平建築最大の豪壮な建物。鑑真和上の死後、弟子の如宝が建立したと伝える。正面7間、側面4間の寄棟造。大棟の両端に鴟尾[しび]を飾った大屋根、エンタシスといわれる前面の列柱には荘重感がある。千体仏を背負った高さ3mの本尊盧舎那仏坐像(国宝)の左右に、953本の手をもつ5.4mの千手観音立像(国宝)と、像高3.36mの薬師如来立像(国宝)が並ぶ。
天正13年(1585)に豊臣秀長が建立したといい、本尊の阿弥陀三尊立像(重要文化財)は鎌倉時代の作で快慶作と伝わる。門の左手の小堂に祭る石仏「垢かき地蔵」はふっくらした顔立ちで気品があり、かつては郡山城の沓脱石[くつぬぎいし]になっていたといわれる。門前の洞泉寺町はかつての花街で、木造3階建ての旧遊郭が残る。
養老2年(718)、舎人親王が『日本書紀』の完成と自身の42歳の厄除けを祈願して開いたとされる。日本最古の厄除け霊場といわれ、本尊木造千手観音立像が「厄除け観音」として信仰を集める。境内には本堂(重要文化財)、三重塔、行者堂、七福神堂、阿弥陀堂などが立ち並ぶ。また花畑(バラ)が5月15日から6月5日まで公開される。7月からカサブランカが見頃。
古代豪族鴨氏の守護神を祀る神社。延喜式には名神大社として名を連ね、貞観元年(859)には従一位に叙せられた。全国の賀茂社の元宮にあたる。境内の奥に立つ三間社流造の本殿(国指定重要文化財)は、天文12年(1543)の再建。4月下旬~5月上旬に見ごろとなるニホンサクラソウは、昭和35年(1960)に先代宮司が京都の自邸から持ち帰って増やしたもの。約500種2000鉢を数える。
當麻寺にあり、浄土宗総本山知恩院の奥院として誓阿普観上人が応安3年(1370)に創建した寺。南北朝の戦乱を避けて、京都から多くの寺宝を移したとされる。金銀の蒔絵を施した倶利伽羅龍[くりからりゅう]蒔絵経箱(国宝)などを蔵している。
多武峰山麓の高台にあり、境内からは三輪山や箸墓[はしはか]古墳をはじめ大和盆地を一望できる。和銅5年(712)、藤原鎌足[かまたり]の長男定慧[じょうえ]の創建と伝えられ、和辻哲郎が『古寺巡礼』で気高いその姿を絶賛した十一面観音立像(国宝)は、天平彫刻の傑作としてあまりにも有名。江戸時代作の本尊丈六子安延命地蔵に、安産と子授けの祈願に訪れる人も多い。
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