
峰寺薬師堂
バス停から田んぼを横切り、細い石段を上り詰めると、文久元年(1861)建立の本堂が樹木に囲まれて立っている。奈良時代初期、聖武天皇の皇后、光明皇后の御母県犬養橘三千代[あがたのいぬかいのたちばなのみちよ]の誓願で建てられたといわれる古刹で、奈良の法隆寺、三河の蓬莱山薬師寺と共に日本三薬師の一つといわれる。境内から見る田園風景もすばらしい。
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バス停から田んぼを横切り、細い石段を上り詰めると、文久元年(1861)建立の本堂が樹木に囲まれて立っている。奈良時代初期、聖武天皇の皇后、光明皇后の御母県犬養橘三千代[あがたのいぬかいのたちばなのみちよ]の誓願で建てられたといわれる古刹で、奈良の法隆寺、三河の蓬莱山薬師寺と共に日本三薬師の一つといわれる。境内から見る田園風景もすばらしい。
約400mにわたって九つのお寺が通りにずらりと並ぶ全国でも珍しい町並み。
戦国大名尼子[あまこ]氏の信仰篤かった逢坂八幡宮の隣にひっそりと佇む、松の根を御神体にした神社。小泉八雲もここに詣で、そのことを『日本海に沿うて』に書き残している。根が男根に似ており、夫婦円満や子宝に御利益があるといわれている。木の根神社付近一帯は散策に手ごろな逢坂八幡公園。中心は逢坂八幡宮で、貞観7年(865)の創建だ。逢坂八幡神社に頼めば祈祷してもらえる。
『古事記』の因幡の白兎を祀った小さな神社。創建は明らかではないが、現在の社殿は明治29年(1896)に再建されたものだ。境内の池は、白兎が大国主[おおくにぬし]神の言葉に従って身体を洗ったという池。周囲には常緑のタブ・シイ・カクレミノなどが茂っている。日本海沿岸の原始林の特徴を残すものとして、この樹叢[じゅそう]は国の天然記念物に指定されている。白兎がお礼に八上姫との縁を結んだことから、縁結びの神様として知られている。
古い町並みの中にたたずむ古刹。和銅[わどう]年間(708~715)の創建で、慶長9年(1604)、修験者の覚行[かくぎょう]が再興した。開基以来のものと思われる本尊の木造薬師如来像、脇侍の日光菩薩、月光菩薩、吉祥天立像の4体が重要文化財。拝観には予約が必要。
奈良時代創建の古刹。打吹山の急な斜面に立つ本堂は、地形を利用した懸造[かけづくり]だ。奉納された、たくさんの絵馬が有名で、なかには絵から抜け出し暴れたという伝説をもつ優れた作品も。本尊十一面観音を安置する厨子は、室町後期の作で国の重要文化財に指定されている。
一反木綿をデザインしたユニークな鳥居が目印の妖怪神社。妖怪ロボットが運勢を占うからくり妖怪おみくじが名物で、200円投入すると妖怪がカプセルに入ったおみくじを運んできてくれる。
寺伝によれば、養和元~2年(1181~82)に、平清盛[たいらのきよもり]の次男宗盛[むねもり]が建立したという。みどころは、いずれも国の重要文化財に指定されている平安中~末期の仏像5体(木造薬師三尊像・不動明王像・木造毘沙門天立像)。そのほかにも鎌倉時代や室町時代の仏像を10体以上祭っている。寺からさらに山道を1.5kmほど登ると、創建当時の場所という鵜ノ池[うのいけ]がある。秋は紅葉の名所。
創設年代は明らかではないが、古くから伯耆国の一ノ宮として信仰を集め、安産の神様として知られる格式の高い神社だ。大国主命の娘である下照姫命[したてるひめのみこと]が出雲からこの地につき住居を定めたといわれている。また、才色兼備の女神であったとつたえられていることから女子力アップのパワースポットとしても有名。現在の社殿は文化15年(1818)に再建されたもの。
大山寺の山門下から左へ、日本一長い自然石の石畳の参道をたどると、大己貴命[おおなむちのみこと]を祀る大神山神社奥宮に着く。権現造の荘厳な本殿、幣殿、拝殿ともに重要文化財指定。また、本殿に向かって左横に立つ下山神社(重要文化財)は、津和野藩主亀井氏が文化2年(1805)に寄進したもの。奥宮に至るまでの参道には、金門や後向き門などのみどころが点在し、さらに40分ほど登山道を上ると荒々しい景観の元谷に至る。
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