国史跡 鳥取藩主 池田家墓所
初代光仲[みつなか]から11代慶栄[よしたか]までの鳥取藩主が眠る墓所で、国の史跡に指定されている。玉垣に囲まれた巨大な墓石群が整然と並んでおり、初代光仲の墓所は3段の台座の上に、江戸時代の大名の墓に特徴的な台石をのせた独特の形状で、高さは3m近くあり、藩主の絶大な力を物語る。宇倍神社からは徒歩10分。
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初代光仲[みつなか]から11代慶栄[よしたか]までの鳥取藩主が眠る墓所で、国の史跡に指定されている。玉垣に囲まれた巨大な墓石群が整然と並んでおり、初代光仲の墓所は3段の台座の上に、江戸時代の大名の墓に特徴的な台石をのせた独特の形状で、高さは3m近くあり、藩主の絶大な力を物語る。宇倍神社からは徒歩10分。
斉尾廃寺跡(特別史跡)は、白鳳時代(7世紀後半~8世紀初頭)に建立された古寺の跡。建物は残っていないが、金堂の基壇や講堂跡の礎石が残る。本堂は南面し、東に金堂、西に塔を配した法隆寺式伽藍配置。山陰で唯一、特別史跡に指定されている。
900棟以上の建物跡や30基を超える墳丘墓などが発掘されており、弥生時代の集落遺跡としては国内屈指の規模を誇る。現在は、集落が最も栄えていた頃の景観が再現されている。ボランティアガイドによる遺跡案内や土・日曜、祝日には火起こしや勾玉づくりなどさまざまな体験ができる、「お気楽 弥生気分」を楽しめる。また、日曜と祝日の11時から、予約不要で発掘現場を再現した発掘体感ひろばではっくつ体験も行っている(5~11月)。
長通寺を右手に見ながら苔むした石段を踏み、シイノキにおおわれた小高い丘へ上ると中腹に立つ。巨石を積んだ石塔のようなこの構築物は6~7世紀の造立といわれ、心柱のエンタシス式のふくらみや忍冬の文様に古代大陸文化の影響が見られる珍しいものだ。
気高町と青谷町の境にある海辺の高台。展望所があり、大きな穴のあいた覗岩と、『貝がら節』の音符と歌詞を彫った碑が立つ。昔は、ここで魚影を探したという言い伝えどおり、海の展望は抜群。天気のよい日には因幡、但馬の山々や鳥取砂丘方面まで見晴らせる。
江戸時代、宿場町として栄えた地に佇む大邸宅。智頭杉をはじめ様々な銘木を使用し、3000坪の敷地の中に巨木の梁組が見渡せる吹き抜けの土間、40あまりの部屋、7棟の蔵を有する近代和風建築の傑作。また400坪の庭園「石谷氏庭園」は国登録名勝地・鳥取県指定名勝に指定されている。
上淀廃寺跡をはじめ古代遺跡が多い淀江町の、古代文化にふれられる史跡公園。復元された竪穴式住居、高床建物のほか、土器作りなどが体験できる(400円~、所要1時間)施設がある。6月下旬~8月は古代ハスや、40種類以上のハスが咲き誇る。
戦国武将・吉川[きっかわ]広家が築城に着手。慶長6年(1601)、関ケ原の戦いの行賞として伯耆国を与えられた中村一忠が完成。山陰随一の名城といわれたが、明治になり建物は取り壊され、現在は石垣や礎石が残る。標高90mの湊山山頂からは中海や米子市街、大山が見晴らせ、360度の絶景として知られている。城跡を含む一帯は湊山公園として整備。桜の園や日本庭園、スポーツ・文化施設などがある。中海沿いの遊歩道からは夕日が美しい。
因幡万葉歴史館近くの集落の中に立つ。刻まれている「新しき…」の1首は万葉集の最後を飾る家持の歌。手前には、万葉集の研究家としても著名な佐佐木信綱の歌碑がある。
弥生時代後期から古墳時代中頃の集落跡(史跡)で、住居100戸以上の大規模なもの。発掘後に埋め戻し、史跡公園として公開している。園内の福市考古資料館(料金:無料、時間:9時30分~16時30分、休み:火曜、祝日の翌日、電話:0859-26-3784)では市内からの出土品や考古資料が見られる。
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