
興禅寺
初代鳥取藩主池田光仲[いけだみつなか]の菩提寺で、黄檗宗[おうばくしゅう]の禅寺。力強い美しさで知られる書院造の庭園は、桃山時代の様式を残す池泉観賞式庭園。境内にはそのほか、キリシタン灯籠、荒木又右衛門[あらきまたえもん]の助力で弟の仇討ちをした渡辺数馬[わたなべかずま]の墓、放浪の詩人尾崎放哉[おざきほうさい]の句碑なども点在している。
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初代鳥取藩主池田光仲[いけだみつなか]の菩提寺で、黄檗宗[おうばくしゅう]の禅寺。力強い美しさで知られる書院造の庭園は、桃山時代の様式を残す池泉観賞式庭園。境内にはそのほか、キリシタン灯籠、荒木又右衛門[あらきまたえもん]の助力で弟の仇討ちをした渡辺数馬[わたなべかずま]の墓、放浪の詩人尾崎放哉[おざきほうさい]の句碑なども点在している。
伊賀越仇討の剣豪・荒木又右衛門の菩提寺。境内には、墓と荒木又右衛門記念館がある。寛永11年(1634)実際に決闘に使われた太刀や鎖かたびら等多数の遺品資料は必見。庫裏には、高木百拙[たかぎひゃくせつ]筆の羅漢襖絵があり、墨一色でのびやかに描かれた羅漢達が味わい深く語りかける。四季折々の風情が楽しめる亀鶴庭など、見所が多い。
国道から外れて細道をたどると、樗谿川のせせらぎも爽やかな林に入る。モミやシイなどの木立の中にたたずむ社殿は、石玉垣をめぐらした本殿、平唐門の中門、入母屋造の拝殿、幣殿ともに国の重要文化財。慶安3年(1650)、初代鳥取藩主・池田光仲が日光東照宮の分霊として建立したもので、簡素で気品がある。本殿には左甚五郎作と伝わる鷹の彫刻が残る。拝観後は、少し奥の大宮池まで渓流沿いの遊歩道を散策したい。建立から明治初期まで「東照宮」だった経緯から、平成23年(2011)10月に鳥取東照宮に名称を改めた。
樗谿神社から南に500mほど行き、もみじの連なる参道をたどった奥にたたずむ寺院。別名出世観音として親しまれる天台宗の寺院で、国の名勝指定の華やかな庭園で知られる。全体の半分ほどの面積を占める池に島を配した池泉観賞式庭園は、大きな築山が印象的。抹茶と茶菓がふるまわれるので、町歩きの休憩をかねて、ゆっくり拝観したい。
倉吉市の西郊外に立つ天台宗の古刹。寺伝によれば創建は承和8年(841)。その後一時廃絶し、文祿2年(1593)に恵信僧都源信[えしんそうずげんしん]が再興した。本尊木造阿弥陀如来坐像は鎌倉時代の作品で国の重要文化財。近くには高さ30m、幹回り11.2mにもなる大イチョウがある。阿弥陀如来坐像の拝観は要連絡。
縁起のよい名前は、『太平記[たいへいき]』に登場する武将金持景藤[かもちかげふじ]ゆかり。隠岐から脱出して船上山[せんじょうさん]に立てこもった後醍醐天皇に従い挙兵した景藤が、ここで必勝を祈願したと伝えられている。その武運と「かねもち」の名から、開運、金運を求めて全国から多くの参拝者が訪れる。
岩井温泉の守り神の御井神[みゆのかみ]をまつる神社。創建は弘仁2年(811)、『延喜式』にも記された古社である。神社に向かう石段の麓にある旧岩井小学校の校門のそばには、約1300年前創建の岩井廃寺(弥勒寺)三重塔の心礎(史跡)が残っている。地元では古くから「鬼の碗」[おにのわん]とよばれてきた、穴のあいた巨大な岩で、横3.63m、縦2.36mと、日本最大級の大きさを誇る。
慶雲3年(706)、役行者によって開かれた古刹。山岳仏教の霊場で、標高900mの三徳山全山が国の名勝・史跡。本堂から投入堂[なげいれどう]へは往復登山参拝1時間40分の山道。途中に文殊堂(重要文化財)、地蔵堂(重要文化財)、鐘楼等が点在する。三佛寺奥院投入堂は標高520mの断崖に平安後期に建てられた懸崖造の神社建築で、鳥取県で唯一の国宝建造物。宝物殿で拝観できる本尊の蔵王権現立像(重要文化財)は、仁安3年(1168)康慶作。
地元では「藤寺」という愛称で親しまれている住雲寺。樹齢約50年、長く伸びた房は「6尺藤」とよばれ、美しく幻想的な世界が広がる。ゴールデンウィークには藤まつりを開催。大正琴の演奏や、藤棚の下にお茶席を設け抹茶を振る舞うなど、さまざまな催しが行われる。
昼なお暗い鬱蒼とした樹林内に、不動滝・湯原滝・妙円滝の3つの滝が水飛沫を上げ、霊場という呼び名がいかにも相応しい。かつては山伏たちの修行の場とされ、今でも不動滝のそばにある祠では、8月の第1日曜に山岳修験風の行「湯三昧」行われる。
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