長通寺
のどかな農村風景の中にたたずむ曹洞宗の古刹。明治期の日本画家八百谷冷泉[やおたにれいせん]の襖絵があり、昭和31年(1956)にここを訪れた作家志賀直哉の碑が、本堂の入口横に立つ。
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のどかな農村風景の中にたたずむ曹洞宗の古刹。明治期の日本画家八百谷冷泉[やおたにれいせん]の襖絵があり、昭和31年(1956)にここを訪れた作家志賀直哉の碑が、本堂の入口横に立つ。
昼なお暗い鬱蒼とした樹林内に、不動滝・湯原滝・妙円滝の3つの滝が水飛沫を上げ、霊場という呼び名がいかにも相応しい。かつては山伏たちの修行の場とされ、今でも不動滝のそばにある祠では、8月の第1日曜に山岳修験風の行「湯三昧」行われる。
初代鳥取藩主池田光仲[いけだみつなか]の菩提寺で、黄檗宗[おうばくしゅう]の禅寺。力強い美しさで知られる書院造の庭園は、桃山時代の様式を残す池泉観賞式庭園。境内にはそのほか、キリシタン灯籠、荒木又右衛門[あらきまたえもん]の助力で弟の仇討ちをした渡辺数馬[わたなべかずま]の墓、放浪の詩人尾崎放哉[おざきほうさい]の句碑なども点在している。
中国三十三観音霊場の一つ。承和年間(834~848)に慈覚大師が創建したという寺院で、摩尼山中腹に立つ。麓から長く急な石段を上ると境内で、門前には山菜料理の茶店が並び一休みできる。
創設年代は明らかではないが、古くから伯耆国の一ノ宮として信仰を集め、安産の神様として知られる格式の高い神社だ。大国主命の娘である下照姫命[したてるひめのみこと]が出雲からこの地につき住居を定めたといわれている。また、才色兼備の女神であったとつたえられていることから女子力アップのパワースポットとしても有名。現在の社殿は文化15年(1818)に再建されたもの。
倉吉市の西郊外に立つ天台宗の古刹。寺伝によれば創建は承和8年(841)。その後一時廃絶し、文祿2年(1593)に恵信僧都源信[えしんそうずげんしん]が再興した。本尊木造阿弥陀如来坐像は鎌倉時代の作品で国の重要文化財。近くには高さ30m、幹回り11.2mにもなる大イチョウがある。阿弥陀如来坐像の拝観は要連絡。
一反木綿をデザインしたユニークな鳥居が目印の妖怪神社。妖怪ロボットが運勢を占うからくり妖怪おみくじが名物で、200円投入すると妖怪がカプセルに入ったおみくじを運んできてくれる。
戦国大名尼子[あまこ]氏の信仰篤かった逢坂八幡宮の隣にひっそりと佇む、松の根を御神体にした神社。小泉八雲もここに詣で、そのことを『日本海に沿うて』に書き残している。根が男根に似ており、夫婦円満や子宝に御利益があるといわれている。木の根神社付近一帯は散策に手ごろな逢坂八幡公園。中心は逢坂八幡宮で、貞観7年(865)の創建だ。逢坂八幡神社に頼めば祈祷してもらえる。
伊賀越仇討の剣豪・荒木又右衛門の菩提寺。境内には、墓と荒木又右衛門記念館がある。寛永11年(1634)実際に決闘に使われた太刀や鎖かたびら等多数の遺品資料は必見。庫裏には、高木百拙[たかぎひゃくせつ]筆の羅漢襖絵があり、墨一色でのびやかに描かれた羅漢達が味わい深く語りかける。四季折々の風情が楽しめる亀鶴庭など、見所が多い。
三朝温泉の守り神として知られ、清めの水が温泉という三朝ならではの珍しい神社。飲泉可なので、健康を祈願して飲んでみよう。
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