
矢喰宮
吉備武彦命=若日子建吉備津日子命の子(吉備津彦命に間行) を祀る社。伝説では祭神=吉備津彦命の矢と温羅の投げた石が当たって落ちた場所。この戦いはなかなか決着がつかなかった。境内の巨石は温羅が投げた石だとか。
- 「足守駅」から徒歩12分
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吉備武彦命=若日子建吉備津日子命の子(吉備津彦命に間行) を祀る社。伝説では祭神=吉備津彦命の矢と温羅の投げた石が当たって落ちた場所。この戦いはなかなか決着がつかなかった。境内の巨石は温羅が投げた石だとか。
備前國一宮であり、桃太郎伝説と神楽・備前刀のふるさとの一宮としても知られる。御祭神の大吉備津彦命は吉備国を治めたことから、昔話、桃太郎のモデルとしても有名。御社殿は磐座を祀る御神体山である吉備中山の東麓に鎮座し、吉備津彦命の屋敷跡に建てられたとされる。平成30年(2018)5月に「桃太郎伝説」の生まれたまちおかやま~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~の構成文化財として日本遺産に認定。御神刀である桃太郎祐定(岡山県指定重要文化財)は刃長が三尺を超える大太刀で、刃文は神心乱といわれ「神により人心を平らかにする」という平和への祈りがこめられていると伝わる。旧岡山藩主池田家とゆかりが深く、輝武命(池田信輝公)と火星照命(池田輝政公)を祀っており、秋季大祭では備州岡山城鉄砲隊による古式砲術神事が行われている。
慶雲4年(707)に創建され、美作国の一宮として崇敬されている。本殿(重要文化財)は入母屋造と妻入で特色のある中山造という美作地方独特の神社建築様式。神門は津山城二の丸の四脚門を移築したもの。
江戸時代中期の僧・良寛が20年間修行した曹洞宗の名刹で、境内には本堂、良寛堂、座禅堂などが点在。一帯は円通寺公園となっており、山頂からは玉島港と瀬戸内海が望める。
下津井の町並みを見下ろす丘の上に鎮座する絶景の神社。境内からは瀬戸大橋や島々を見渡せ、映画やドラマのロケ地としても使われている。瀬戸内の歴史景観を詠んだ歌碑も多数あり、北前船寄港地として日本遺産にも登録されている。
標高37mの鶴形山に鎮座し宗像三女神を祀る倉敷の鎮守。境内の絵馬殿からは美観地区を一望できる。境内北側にある阿知の藤は岡山県指定天然記念物、また、倉敷市花に制定されている。曙藤という品種の中では日本一古く大きいものであり、樹齢は300~500年とも言われてる。5月には藤見の会が開催され、お茶席や藤棚の下で雅楽演奏等も行われる。10月の秋季例大祭は、土曜に祭典、車輌巡幸・神賑いを行い、翌日曜には200人余の御神幸行列が御神輿と共に市街を巡行する。
吉備津彦命をモデルとした桃太郎伝説と深く関わるとされ、鯉喰神社は鯉に変化して逃げる温羅[うら]を吉備津彦命が鵜になって捕食した場所を祭るため建立されたといわれている。
正平2年(1347)に創建された法華宗の古刹。港が一望できる高台にあり、江戸時代には客殿が朝鮮通信使の宿泊所にあてられた。客殿内の謁見の間にある、長さ4.5mの欅[けやき]の一枚板でできた床板は必見。本堂・中門・番神堂は国の重要文化財、三重塔と祖師堂は県の重要文化財に指定されている。国内唯一といわれる海辺の三重塔は、海側からの眺めもよい。
昭和46年(1971)に地元の人たちが建立した武蔵を祭る社。勝負強かった武蔵にあやかろうと、スポーツ関係者が必勝祈願に訪れる。また、お守りは楽市楽座で販売している。
閑谷学校敷地内にあり、閑谷学校の創設者の備前岡山藩初代藩主池田光政を祀っている。貞享三年(1686)に建てられた本殿や拝殿などの社殿と中門や石橋など8点が国重要文化財に指定。以前は光政の諡[おくりな]に因んで芳烈祠または東御堂と呼ばれていた。明治8年(1875)に神社に格付けされて閑谷神社と改称。本殿内に安置されている光政の金銅製座像は宝永元年(1704)に鋳造されたもの。
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