備中国分寺
奈良時代、国家鎮護を祈願する聖武天皇によって建立されたが、南北朝時代に焼失。現在の建物は江戸時代中期に再建されたもの。境内西にそびえる五重塔(重要文化財)は吉備路のシンボル的存在。高さ34m、3層目までがケヤキ、4~5層目は松を主体に造られている。初層の軒下に細かく彫られた十二支も見ておきたい。東側の広場では、毎年4月29日に吉備路れんげまつりが開催される。
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奈良時代、国家鎮護を祈願する聖武天皇によって建立されたが、南北朝時代に焼失。現在の建物は江戸時代中期に再建されたもの。境内西にそびえる五重塔(重要文化財)は吉備路のシンボル的存在。高さ34m、3層目までがケヤキ、4~5層目は松を主体に造られている。初層の軒下に細かく彫られた十二支も見ておきたい。東側の広場では、毎年4月29日に吉備路れんげまつりが開催される。
昭和46年(1971)に地元の人たちが建立した武蔵を祭る社。勝負強かった武蔵にあやかろうと、スポーツ関係者が必勝祈願に訪れる。また、お守りは楽市楽座で販売している。
伊部地区の総鎮守。参道には備前焼の陶板が敷かれ、屋根瓦や狛犬も備前焼。塀にも現代の備前作家が奉納した陶板が張られている。拝殿に宮獅子のレリーフが有り、境内にはえびす様・大黒様の陶像が信仰を集めている。
プロテスタント教会としては同志社礼拝堂についで古く、明治22年(1889)竣工。岡山県指定文化財CLEVE(1890年製造)とYAMAHA(19247年製造)オルガンは必見。撮影やレトロブライダルなどは要相談。
足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つ。本尊は聖観世音菩薩で、備中西国第5番瀬戸内観音第13番の札所でもある。慶長9年(1604)頃に造られたという庭園(名勝)は、小堀遠州作の蓬莱式枯山水様式で、愛宕山を借景に白砂敷きの中央に鶴島、後方に亀島を置き、サツキの大刈り込みで青海の波を表現している。座敷に座って鑑賞することができ、サツキが見ごろになる5月下旬から6月上旬がいちばんの見頃だが、雪をかぶった冬の景観も美しい。毎年秋には小堀遠州を顕彰するお茶会が催される。
明暦3年(1657)、藩主水谷伊勢守勝隆が奥万田町から移築。周囲を取り囲む頑丈な石垣は、備中松山城の防衛線として造られたもの。見学は外観のみとなるが、本堂右の観音堂にある格天井[ごうてんじょう]と船戸は岡山県指定の重要文化財。これは、秀吉が行った文禄の役の総督岡山城主宇喜多秀家が朝鮮に出兵した時の御座船の用材で造らせたもの。
正平2年(1347)に創建された法華宗の古刹。港が一望できる高台にあり、江戸時代には客殿が朝鮮通信使の宿泊所にあてられた。客殿内の謁見の間にある、長さ4.5mの欅[けやき]の一枚板でできた床板は必見。本堂・中門・番神堂は国の重要文化財、三重塔と祖師堂は県の重要文化財に指定されている。国内唯一といわれる海辺の三重塔は、海側からの眺めもよい。
明治39年(1906)設立の歴史ある教会。国の登録有形文化財。礼拝堂は大正12年(1923)建築で、壁には笠岡諸島・北木島産の御影石を使用しており、趣ある姿が印象的だ。隣のキリスト会館に、信者でなくても利用できるカフェがある。
江戸時代中期の僧・良寛が20年間修行した曹洞宗の名刹で、境内には本堂、良寛堂、座禅堂などが点在。一帯は円通寺公園となっており、山頂からは玉島港と瀬戸内海が望める。
吉備津彦命をモデルとした桃太郎伝説と深く関わるとされ、鯉喰神社は鯉に変化して逃げる温羅[うら]を吉備津彦命が鵜になって捕食した場所を祭るため建立されたといわれている。
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