曼荼羅寺
四国霊場第72番札所の曼荼羅寺は、弘法大師の祖先に当たる佐伯一族の氏寺だった古寺。大同2年(807)に空海が曼荼羅を安置し、大日如来を祭って伽藍を整えたと伝えられる。境内には、仁安3年(1168)西行法師が来寺した際に昼寝をしたという「晝寝石[ひるねいし]」もある。また、平成14年(2002)に枯死した不老松の幹から彫り出した笠松大師像を拝みながら、往時の笠松を偲ぶ人は後を絶たないという。
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四国霊場第72番札所の曼荼羅寺は、弘法大師の祖先に当たる佐伯一族の氏寺だった古寺。大同2年(807)に空海が曼荼羅を安置し、大日如来を祭って伽藍を整えたと伝えられる。境内には、仁安3年(1168)西行法師が来寺した際に昼寝をしたという「晝寝石[ひるねいし]」もある。また、平成14年(2002)に枯死した不老松の幹から彫り出した笠松大師像を拝みながら、往時の笠松を偲ぶ人は後を絶たないという。
「こんぴらさん」の名で親しまれる金刀比羅宮の御本宮は、檜皮葺の大社関棟[たいしゃせきむね]造。拝殿の格子天井に蒔絵が施され、向拝には菊花の紋章が付けられている。本宮前の広場からは讃岐平野の眺望が広がる。
四国霊場第76番札所。弘法大師の姪の子で天台寺門宗の宗祖、智証大師(円珍)の生誕地。本尊の薬師如来像は円珍作と伝わる。本堂左手には、円珍ゆかりの訶利帝母尊(鬼子母神)が祀られている訶利帝堂が立つ。明治29年(1896)、乃木希典[のぎまれすけ]将軍が旧陸軍第11師団創立時に宿舎としたことも有名。
真言宗善通寺派の総本山で、四国霊場第75番札所。弘法大師(空海)誕生の地として有名で、京都の東寺、和歌山の高野山とともに弘法大師三大霊跡の一つ。広大な境内は東西2つの院に分かれ、東院には五重塔、金堂、釈迦堂などが立ち並ぶ。誕生院とも呼ばれる西院は、御影堂に戒壇巡りの暗い地下道が設けられ、奥殿は大師誕生の場所とされる。宝物館には、地蔵菩薩立像や吉祥天立像(ともに国指定重要文化財)をはじめ数々の寺宝が展示してある。
天保8年(1837)、金刀比羅宮に金堂として建立された。二重入母屋造、銅板葺の堂々とした建物は国の重要文化財。上層の屋根裏から建物の側面に至るまで巻雲[まきぐも]や鳥獣、人物、花卉[かき]などの巧みな彫刻が施されている。
毘沙門天と出会った弘法大師が毘沙門天尊を刻み岩窟に安置したのが始まり。その後、満濃池修築の別当となった大師が成功を祈願し薬師如来を刻む。完成後、功労により賜った一部で堂宇を建立、薬師如来を本尊として安置。
寺伝によると、7歳の弘法大師が人々を救いたいと発心、「わが願いが叶うなら釈迦如来よ姿を現したまえ、もし叶わぬのならこの身を諸仏に捧げる」と我拝師山の断崖から身を投げた。すると釈迦如来と天女が現れ、天女に抱きとめられたという。
奥の院にある大師堂は玉依御前[たまよりごぜん]が弘法大師である空海を出産したと伝わる産屋跡。唐の国より修業後、空海が開山した最初の真言宗の根本霊地でもある。敷地面積8万坪を誇り、境内が海に面した珍しい寺で夏は海水浴やバーベキューで賑わう。日本全国から集められた花木(アジサイや竹、桜、萩など)で四季折々の自然が楽しめる「まんだら園」も魅力的。毎月28日10時から行われる護摩には全国から大勢の信者が集う。四国別格二十霊場18番札所、四国三十六不動霊場31番札所、讃岐十二支霊場卯年守り本尊文殊菩薩札所。
金刀比羅宮御本宮から、さらに583段の石段を登った所にある。御祭神は厳魂彦命[いづたまひこのみこと]で、江戸期に金毘羅大権現別当金光院主だった金剛坊宥盛大人[こんごうぼうゆうせいうし]を祭っている。
四国霊場第67番札所。寺伝では熊野三所権現鎮護[くまのさんしょごんげんちんご]のために東大寺末寺として、天平14年(742)に建立され、延暦11年(792)に弘法大師が巡錫[じゅんしゃく]、弘仁13年(822)嵯峨帝勅願によって再興されたとされ、地元では小松尾寺の名で親しまれている。真言宗と天台宗の修行道場として栄え、境内に大師堂と天台師堂があるのはその名残り。現在の本堂は寛保元年(1741)の再建、仁王門に安置された高さ3mを超える木造金剛力士像は運慶作といわれ、四国霊場で最大のものだ。弘法大師のお手植えという樹齢1200年の大楠、カヤの木も見ておきたい。
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