金刀比羅宮 旭社
天保8年(1837)、金刀比羅宮に金堂として建立された。二重入母屋造、銅板葺の堂々とした建物は国の重要文化財。上層の屋根裏から建物の側面に至るまで巻雲[まきぐも]や鳥獣、人物、花卉[かき]などの巧みな彫刻が施されている。
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天保8年(1837)、金刀比羅宮に金堂として建立された。二重入母屋造、銅板葺の堂々とした建物は国の重要文化財。上層の屋根裏から建物の側面に至るまで巻雲[まきぐも]や鳥獣、人物、花卉[かき]などの巧みな彫刻が施されている。
総本山善通寺の裏にある香色山に作られた、一周1.6kmのミニ遍路コース。善通寺の駐車場前の五智院を出発点として、江戸時代に作られた88体の石仏を巡る。所要時間は約40分。
「こんぴらさん」の名で親しまれる金刀比羅宮の御本宮は、檜皮葺の大社関棟[たいしゃせきむね]造。拝殿の格子天井に蒔絵が施され、向拝には菊花の紋章が付けられている。本宮前の広場からは讃岐平野の眺望が広がる。
弘法大師が薬師7体の石像を刻みお堂を建てた所に後年再興されたもの。お参りすると乳の出が良くなるので「乳薬師」ともいわれる。
標高451mの象頭山[ぞうずざん]の中腹に鎮座し、祭神は大物主神(大国主命)。門前町から表参道の785段の石段の先に御本宮が立ち、途中には大門や桜馬場、宝物館、高橋由一館、国指定重要文化財の表書院や旭社など、数々の社殿や施設が立ち並んでいる。御本宮には、12世紀の保元の乱で都を追われ、讃岐にとどまった崇徳[すとく]天皇を合祀しており、並び立つ別宮の三穂津姫社や神楽殿など12棟が国指定重要文化財。創建は明らかではないが、江戸時代には「こんぴらまいり」が盛んになり、今日に至るまで海の守護神として広く信仰を集めている。御本宮からさらに583段の石段を登った山中には、奥社の厳魂神社も鎮座する。
秋になると境内に約2500株の萩が花をつける。弘法大師が大同2年(807)に開基したと伝わり、宝物館には太師筆という急就章[きゅうしゅうしょう](重要文化財)をはじめ数々の寺宝を収蔵。毎年5月に門前市が、9月に萩まつりが開かれ多くの参詣者で賑わう。
毘沙門天と出会った弘法大師が毘沙門天尊を刻み岩窟に安置したのが始まり。その後、満濃池修築の別当となった大師が成功を祈願し薬師如来を刻む。完成後、功労により賜った一部で堂宇を建立、薬師如来を本尊として安置。
真言宗善通寺派の総本山で、四国霊場第75番札所。弘法大師(空海)誕生の地として有名で、京都の東寺、和歌山の高野山とともに弘法大師三大霊跡の一つ。広大な境内は東西2つの院に分かれ、東院には五重塔、金堂、釈迦堂などが立ち並ぶ。誕生院とも呼ばれる西院は、御影堂に戒壇巡りの暗い地下道が設けられ、奥殿は大師誕生の場所とされる。宝物館には、地蔵菩薩立像や吉祥天立像(ともに国指定重要文化財)をはじめ数々の寺宝が展示してある。
寺伝によると、7歳の弘法大師が人々を救いたいと発心、「わが願いが叶うなら釈迦如来よ姿を現したまえ、もし叶わぬのならこの身を諸仏に捧げる」と我拝師山の断崖から身を投げた。すると釈迦如来と天女が現れ、天女に抱きとめられたという。
8世紀に行基が開基し、弘法大師が少年時代に学問を積んだとされる寺で、四国霊場第71番札所。標高382mの弥谷山の中腹に堂宇が並び、いちばん奥の本堂まで550段近い石段を登っていく。本堂下の岩壁に阿弥陀如来を中心に3尊の磨崖仏[まがいぶつ]が彫られている。帰りに大師堂へ寄り、弘法大師が学問した獅子窟[ししのいわや]がある奥の院を拝観(時間:7~17時)したい。
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