
愛染堂
寛永12年(1635)、岡藩2代藩主・中川久盛が建立。堂宇は、軒下の四隅に天邪鬼[あまのじゃく]や人面の彫刻が施された木造宝形造、本瓦曵葦きの竹田市最古の木造建築。日光東照宮造営奉行だった中川氏が連れて帰った、飛騨の匠に造らせたものだ。内部に本尊の愛染明王が安置され、恋愛成就の御堂としても有名。奇数月第2土曜10~14時無料で開帳、4・11月に2日ずつ特別に開帳(有料、300円)される。観音寺境内の円通閣を抜けた場所に立つ。
- 「豊後竹田駅」から徒歩6分
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寛永12年(1635)、岡藩2代藩主・中川久盛が建立。堂宇は、軒下の四隅に天邪鬼[あまのじゃく]や人面の彫刻が施された木造宝形造、本瓦曵葦きの竹田市最古の木造建築。日光東照宮造営奉行だった中川氏が連れて帰った、飛騨の匠に造らせたものだ。内部に本尊の愛染明王が安置され、恋愛成就の御堂としても有名。奇数月第2土曜10~14時無料で開帳、4・11月に2日ずつ特別に開帳(有料、300円)される。観音寺境内の円通閣を抜けた場所に立つ。
ソメイヨシノやヤエザクラが咲く桜の名所として有名。展望台からは大分市・別府湾が一望できる。大分縣護國神社には慰霊碑や西南戦争で亡くなった軍人や警官の墓地などがある。
平安初期の天長4年(827)を創建の起源とし、「豊後一の宮」とされ国司・武家などが崇敬した由緒ある神社。約2万5000坪の境内の深い森の中に鎮座する社殿は嘉永年間に再建された壮麗な八幡造りで、本殿・申殿・拝殿など10棟が国指定重要文化財に指定されている。元和9年(1623)再建の南大門には古今の聖人や花鳥風月および二十四孝が刻まれ、日暮し門と呼ばれている。門の横に聳え立つ御神木の大楠は樹齢3000年と伝えられ、国指定天然記念物。
境内奥の岩壁に刻まれた、高さ8mとも12mとも言われる全国最大級の磨崖仏。中央に不動明王像、両脇にはセイタカ童子やコンガラ童子なども彫られている。6月下旬~7月上旬には2000株ものアジサイが咲く。
「歴史の道」として整備された石畳の道を抜けると、観音寺へと続く石段の参道が見えてくる。石段右には、訪れる者を見下ろすかのように16体の石仏が鎮座。十六羅漢とよばれ、それぞれ違った表情は迫力満点だ。境内に立つ願成院本堂(愛染堂)は国の重要文化財に指定され、春と秋の2回開帳される。
殿町武家屋敷の裏手にある、凝灰岩をくり抜いて造られた世界でも珍しい洞窟の礼拝堂。入口の格子ごしに見られる。弾圧が厳しかった江戸時代でさえ、竹田には1万5000人もの信者がいたといわれる。毎年12月24日にはここで殉教者を偲ぶミサが開かれる。
初代藩主・稲葉貞通が慶長5年(1600)に創建。九州では2カ所しかない江戸期の木造三重塔。臼杵の名匠・高橋団内らの手によるもので、塔の軒下にはユニークな表情の天邪鬼が置かれている。
豊後高田市の北隣、真玉町の山間部にたたずむ天台宗の名刹。奈良時代初期に開かれた六郷満山[ろくごうまんざん]の中山本寺[なかやまほんじ]で、本堂内には大分県重要文化財指定の不動明王など16体の木像が安置される。また、本堂の裏手には石仏公園があり、表情豊かな十六羅漢をはじめとする石仏や五輪塔が並んでいる。周辺は奇岩怪石の黒土耶馬[くろつちやば]とよばれ、11月の紅葉が見事。
神仏混淆の形式をそのまま残している珍しい地蔵尊で、全国から訪れる多くの人から「高塚さん」の愛称でよばれ、祈願成就にご利益があると親しまれている。みやげ店が立ち並ぶ長い参道では、名物のゆで饅頭をぜひ味わいたい。3・7・9月の24日には大祭が行われ、多くの参拝客で賑わう。社務所は8~17時。参拝は24時間可能。
天正15年(1587)、黒田孝高[よしたか]によって建立。深紅に塗られた壁は城下町・中津の中でもひときわ強烈な印象を与え、別名・赤壁寺とよばれる。豊臣秀吉の時代、豊前の実力者だった宇都宮鎮房[しげふさ]が騙し討ちに遇い、この寺を宿舎にしていた家臣たちも全員討ち死。その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き出るため、ついに赤壁に塗り替えたという。柱には当時の刀傷も残り、家臣たちの無念と悲しみが壁の血痕を何度も浮き出させたと伝えられている。
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