普光寺磨崖仏
境内奥の岩壁に刻まれた、高さ8mとも12mとも言われる全国最大級の磨崖仏。中央に不動明王像、両脇にはセイタカ童子やコンガラ童子なども彫られている。6月下旬~7月上旬には2000株ものアジサイが咲く。
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境内奥の岩壁に刻まれた、高さ8mとも12mとも言われる全国最大級の磨崖仏。中央に不動明王像、両脇にはセイタカ童子やコンガラ童子なども彫られている。6月下旬~7月上旬には2000株ものアジサイが咲く。
ソメイヨシノやヤエザクラが咲く桜の名所として有名。展望台からは大分市・別府湾が一望できる。大分縣護國神社には慰霊碑や西南戦争で亡くなった軍人や警官の墓地などがある。
平安初期の天長4年(827)を創建の起源とし、「豊後一の宮」とされ国司・武家などが崇敬した由緒ある神社。約2万5000坪の境内の深い森の中に鎮座する社殿は嘉永年間に再建された壮麗な八幡造りで、本殿・申殿・拝殿など10棟が国指定重要文化財に指定されている。南大門には古今の聖人や花鳥風月および二十四孝が刻まれ、日暮し門と呼ばれている。門の横に聳え立つ御神木の大楠は樹齢3000年と伝えられ、国指定天然記念物。
初代藩主・稲葉貞通が慶長5年(1600)に創建。九州では2カ所しかない江戸期の木造三重塔。臼杵の名匠・高橋団内らの手によるもので、塔の軒下にはユニークな表情の天邪鬼が置かれている。
江戸時代に仏門に入ったカッパが住んでいたという池と、その墓が残る寺。天保の飢饉のころ、人々が苦しんでいる横で相撲をとっていたカッパたちに、当時の住職が仏法を説いた。「千年生きている我々に文句を言うな」と最初はくってかかったカッパだったが、仏法の貴さに心を打たれ仏門に入る。その後、寺の池に住み、火事や水難から守ったとの言い伝えがあり、火難・水難除けのお守りもある。
文殊山の中腹に位置する古刹。大化4年(648)の創建と伝えられ、のち六郷満山末山本寺として栄えた。鬱蒼とした杉林の参道から境内に抜けると、力強い仁王像が姿を見せる。さらに300段の石段を登りきった場所が奥の院。本尊は文殊菩薩で、12年に1度開帳。
天正15年(1587)、黒田孝高[よしたか]によって建立。深紅に塗られた壁は城下町・中津の中でもひときわ強烈な印象を与え、別名・赤壁寺とよばれる。豊臣秀吉の時代、豊前の実力者だった宇都宮鎮房[しげふさ]が騙し討ちに遇い、この寺を宿舎にしていた家臣たちも全員討ち死。その時の血潮を浴びた門前の白壁は何度塗り替えても血痕が浮き出るため、ついに赤壁に塗り替えたという。柱には当時の刀傷も残り、家臣たちの無念と悲しみが壁の血痕を何度も浮き出させたと伝えられている。
養老2年(718)創建。子授けの寺として名高く、仏の里巡りには欠かせない存在。国東半島の両子山中腹にあり、無明橋を渡ると2体の仁王像が出迎える。護摩堂には、厄除けや安産にご利益があるという不動明王や奥の院には子授けにご利益のある十一面千手観音などが祀られている。紅葉の名所。
36坊の霊場を有し、国東最大の寺院だった。国の重要文化財に指定された9体の木造仏像の傑作が安置され、往時の隆盛を偲ばせる。白牛にまたがる大威徳明王像や不動明王像、四天王像などがずらりと並ぶ姿は見応え充分だ。
養老2年(718)創建と伝えられる天台宗の古刹で、六郷満山[ろくごうまんざん]の本山末寺。大堂(国宝)は平安後期の作、カヤの白木造りで九州最古の木造建築だ。極楽浄土を描いた壁画(重要文化財)保護のため、雨天時は見学不可なので注意。宇治平等院鳳凰堂(京都府)、平泉中尊寺金色堂(岩手県)と並ぶ阿弥陀堂の一つ。
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