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明治43年(1910)に竣工した旧第九十銀行の建物を保存活用。石川啄木と宮沢賢治が過ごした明治・大正時代の盛岡の街と、2人の歩みを紹介。重要文化財の建物も必見で、旧頭取室(映像体験室)や旧金庫室(光と音の体験室)など見どころ多数。1階には喫茶「あこがれ」やオリジナルグッズを販売するショップもある。
政治家として近代化に貢献した、後藤新平の家。生前に、「水沢には墓をつくらないから墓代わりにあの家を長く残しておけ」と言い残したという。江戸中期の下級武士の住居として貴重なもの。奥州市武家住宅資料館の近くにある。所要30分。
藤原基衡[もとひら]の妻が建立した寺院跡。境域は東西120m、南北約180mで西域に土塁の一部が残る。浄土庭園には大・小の阿弥陀堂が建っていた。現在ではその跡に発掘に基づいて舞鶴ケ池が復元され、史跡公園として整備されており、憩い場として親しまれている。
浄土ヶ浜に建てられた碑。「うるはしの海のビロード昆布らは寂光のはまに敷かれひかれぬ」と、大正6年(1917)に宮沢賢治が宮古の浜辺を訪れた際に詠んだ句が刻まれている。
北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵上に位置する城跡公園。盛岡城は、盛岡藩初代藩主・南部信直が築城を開始し、寛永10年(1633)に完成。明治39年(1906)に近代公園として整備され、「岩手公園」として開園した。国指定史跡である盛岡城跡の本丸、二ノ丸、三ノ丸、淡路丸などの曲輪を配した城内には、数多くのあづまやや歌碑・石碑が配され、桜や梅、イロハモミジ、藤棚、アジサイなど、さまざまな植物が四季を彩る。なかでも、盛岡産の花崗岩を積み上げた壮大な石垣は圧巻で、「日本100名城」にも選定されている。
賢治の詩「雨ニモマケズ」の後半部分が高村光太郎の筆により刻まれた碑。羅須地人協会の跡地にある。
北上山地の標高1917mの最高峰早池峰。平安時代から中・近世にかけて隆盛を誇った修験場だった。そこへ至る参道で、長い間風雪に耐えてきた鳥居が、往時の姿を残している。
屋根の上に土を盛った竪穴住居など、縄文中期のムラを復元した史跡公園。園内の縄文博物館では、プロジェクションマッピングによる映像で縄文人の一年を体感できるほか、土器づくりやアクセサリーづくりなどの体験活動も受け付けている。
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