
豊田館跡
藤原清衡の父である藤原経清の居館。清衡が平泉に移る前まで、青年期を過ごした。経清が築いた豊田館跡からは経巻を納める壺「白磁四耳壺」などが出土されており、「えさし郷土文化館」にて展示されている。
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藤原清衡の父である藤原経清の居館。清衡が平泉に移る前まで、青年期を過ごした。経清が築いた豊田館跡からは経巻を納める壺「白磁四耳壺」などが出土されており、「えさし郷土文化館」にて展示されている。
盛岡八幡宮の南、焼失した宗龍寺跡にできた羅漢公園に安山岩を丸彫りした石仏が21体ある。16体の羅漢と5体の五智如来がコの字型に並ぶ。江戸時代後期の天明、天保などの大飢饉で亡くなった人々を供養するため、嘉永2年(1849)に造られた。
国指定史跡・達谷窟毘沙門堂西側の大岩面壁に、11世紀に彫られたといわれる大磨崖仏[だいまがいぶつ]。高さ約16.5m、顔の長さ約3.6mもの貴重なもので、「北限の磨崖仏」として有名だ。明治29年(1895)、胸から下が崩落。風化が激しく、現在は顔のみが残る。
中津川に架かる上の橋の欄干には、18個の擬宝珠が付けられている。擬宝珠とは手すりや橋の欄干に付ける飾りのこと。青銅製で慶長14年(1609)の銘が刻まれるものが8個、慶長16年(1611)の銘が刻まれるものが10個ある。これほど多く残っているのは全国的にも珍しい。国認定重要美術品でもある。
宮沢賢治が教鞭をとっていたころの花巻農学校の跡地にある公園。『風の又三郎』の一場面を題材にした黒御影石の彫刻が立ち、賢治が好きだったぎんどろの木が植えられている。車で来館の場合は花巻市文化会館駐車場(約400台収容)が利用できる。
昭和20年(1945)に東京のアトリエを空襲で失った高村光太郎が疎開し、戦後7年間の生活を送った住居を当時の姿で公開している。高村光太郎記念館に隣接、見学所要時間は記念館と合わせて約45分~。
道行く人の安全を守り、悪霊、邪神を防ぐといわれる。道祖神・幸神の性格をもつ。
格子の表構えが美しい明治期の盛岡町家。町家カフェ、ギャラリーも併設。展示会や教室などのスペース利用(有料)もできる。見学無料。
幕末の蘭学者・高野長英が幼少の頃過ごしていた旧宅。国指定史跡。明治9年(1876)に改装され、2階があげられているが、主座敷(8畳)と次座敷(6畳)の2室は、当時のまま保存されている。外観は自由見学可。主座敷と次座敷の見学は、5名以上で1週間以上前に電話予約必要。予約先:奥州市武家住宅資料館0197-22-5642。
藤原基衡[もとひら]の妻が建立した寺院跡。境域は東西120m、南北約180mで西域に土塁の一部が残る。浄土庭園には大・小の阿弥陀堂が建っていた。現在ではその跡に発掘に基づいて舞鶴ケ池が復元され、史跡公園として整備されており、憩い場として親しまれている。
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