
ぎんどろ公園
宮沢賢治が教鞭をとっていたころの花巻農学校の跡地にある公園。『風の又三郎』の一場面を題材にした黒御影石の彫刻が立ち、賢治が好きだったぎんどろの木が植えられている。車で来館の場合は花巻市文化会館駐車場(約400台収容)が利用できる。
- 「花巻駅」から徒歩20分
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
宮沢賢治が教鞭をとっていたころの花巻農学校の跡地にある公園。『風の又三郎』の一場面を題材にした黒御影石の彫刻が立ち、賢治が好きだったぎんどろの木が植えられている。車で来館の場合は花巻市文化会館駐車場(約400台収容)が利用できる。
中尊寺東方の高館は、藤原秀衡を頼って落ち延びた源義経の館があった場所。山頂の義経堂には、義経公の尊像が安置されている。芭蕉が「夏草や兵共が夢の跡」と詠んだ地でもあり、入口の階段を上った右側には芭蕉や曽良[そら]の句碑が立つ。眼下に衣川、北上川も眺望できる。春から初夏にかけてはツツジが美しい。
渋民公園内にあり、「やはらかに柳あをめる 北上の 岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」と刻まれた石碑。鶴飼橋の上の小高い丘に立つ。大正11年(1922)に完成した全国第1号の啄木の歌碑だ。渋民の青年たちによって建てられ、高さは4.5m。
宮沢賢治詩碑のすぐ近くにある。南部藩主の警備に当たるため、花巻同心組として住んでいた曲り家式の建物を移転・復元したもの。外観は4~11月の期間見学自由。また、5~10月の土・日曜、祝日と夏休み期間は同心屋敷の縁側で湯茶サービスを実施。
遠野の町外れにしばし見受けられるキツネの関所のひとつで、男性が通り掛かると誰もが、娘に化けたキツネにだまされる、という言い伝えがある。
石川啄木記念館の敷地内にある啄木の母校の木造校舎(盛岡市指定文化財)。明治17年(1884)に旧渋民村の愛宕神社脇に建設され、松内分教場、松内地区公民館などにも使用された。柾屋根造りや連子格子、囲炉裏のある溜まり場などが、明治前期の面影を残しており、啄木が通学した当時に使用した教室は2階にある。啄木はこの小学校を明治28年(1895)に首席で卒業し、20歳の時には約1年間代用教員を務めた。
道行く人の安全を守り、悪霊、邪神を防ぐといわれる。道祖神・幸神の性格をもつ。
約250年前に東北地方は大飢饉に襲われた。心を痛めた大慈寺の義山和尚が、天明3年(1765)に犠牲者の冥福を祈り、読経しながら自然の花崗岩に羅漢像を彫ったといわれている。近くには、社前の木に左手で赤い布を結べたら縁が結ばれるという卯子酉[うねどり]様(神社)がある。
明治7年(1874)に岩手県初の西洋式病院として建築されたこの建物は、六間四面の1階に中2階を含めた4階及び八角形の塔屋からなる擬洋風建築物。菊田一夫原作のラジオドラマのモチーフになったとされ、この塔屋からは朝夕「とんがり帽子」のメロディが流れる。昭和54年(1979)に岩手県指定有形文化財にしていされている。
昭和20年(1945)に東京のアトリエを空襲で失った高村光太郎が疎開し、戦後7年間の生活を送った住居を当時の姿で公開している。高村光太郎記念館に隣接、見学所要時間は記念館と合わせて約45分~。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。