
村上家
1660年頃の建築とみられる、4階建ての合掌造民家(重要文化財)。囲炉裏を囲んで、当主が五箇山の歴史やこきりこ唄などについて詳しく話してくれる。予約をするとコキリコ踊りを鑑賞できる(有料、要問合せ)。
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1660年頃の建築とみられる、4階建ての合掌造民家(重要文化財)。囲炉裏を囲んで、当主が五箇山の歴史やこきりこ唄などについて詳しく話してくれる。予約をするとコキリコ踊りを鑑賞できる(有料、要問合せ)。
日本海に面した黒部川扇状地の扇端部に位置する平安時代から鎌倉時代初期の遺跡。荘園の荘所跡ではないかと推定され、中国製の青磁や木簡などが出土していることなどから、昭和54年5月に国指定の史跡となった。園内は公園として整備され、散策しながら住居跡などを見学できる。
この遺跡は縄文時代中期の竪穴式住居跡であり、発見された22棟中の1棟は、ほかの住居の4~5倍の大きさで、集会所のような公共の建物だったと考えられている。現在、3棟の住居が復元されており、当時の集落の仕組みや生活の様子がわかる。入口の休憩舎には、発掘された石器や解説パネルを展示している。
庄川の河岸段丘に広がる小さな集落。川を渡るための「籠の渡し」など独自の文化が生まれた。平成7年(1995)に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界遺産に登録され、平成21年(2009)には『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』に3つ星で紹介された。日本の美しい原風景が広がるこの集落には、現在9戸の合掌造り家屋が残っており、古くから人々の生活や受け継がれてきた伝統・文化が息づいている。
動物園内にある絵筆塔には、漫画家154名が描いたカッパの絵のレリーフが貼り付けられ、藤子・F・不二雄先生が描いたドラえもんも見られる。数が多いので、じっくり探して。
砺波平野の散居村は、稲作文化の歴史が作り出した景観のひとつと言われている。ミュージアムの敷地内には、散居村の資料・写真を通じて学べる「情報館」、カイニョと呼ばれる屋敷林に囲まれ、昔ながらの暮らしを体験できる「伝統館」、「アズマダチ」という伝統的家屋の新しい居住空間を提案する「交流館」、暮らし・文化がわかる民具を展示する「民具館」があり、散居景観や伝統文化の魅力にふれることができる。
室堂平の西端、雄山を望む岩場に口を開けて並ぶ2つの洞窟。玉殿岩屋は立山開山伝説の聖地で、熊と白鷹を追って来た佐伯有頼[さえきありより]に、熊が阿弥陀如来に、白鷹が不動明王となって現れ立山の開山を命じた場所とされている。立山室堂が建設される前は、立山修験道の行者の宿泊に使用されたともいわれる。洞窟の天井は低く、奥行きも4m程度と狭く、小さな石仏が数体安置されている。すぐ隣にある虚空蔵窟と呼ばれる洞窟も同じように使用されたものといい、内部には石地蔵や十六羅漢が十数体祭られている。この2つの洞窟へは、滑りやすい登山道の下りなので足元に注意を。
藤子不二雄○A先生の代表作のひとつである「プロゴルファー猿」の世界観をモチーフにしたまちなかのフォトスポット。大壁面に描かれた立山連峰に向けてスーパーショットを放つ等身大の主人公・猿谷猿丸の立体像(モニュメント)は、これまでどこにも無かったもので、作品の設定を忠実に再現している。
この流刑小屋は御縮小屋といい、江戸時代に加賀藩の流刑地として8ケ所あった流刑小屋の一つ。昭和38年(1963)の豪雪で倒壊したため、現在あるのは、昭和40年(1965)に復元されたもので、間口2.8m、奥行3.6mの小さな茅葺き造り。入口の柱には、20cm角の食事差し入れ口が開けられ、ここから食料を罪人に与えていた。
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