
松本家住宅
建物の建築年代は文政9年(1826)と推定され、高山市で最も古い町家の1つ。創建以来ほとんど手を入れていない貴重な住宅として国の重要文化財の指定を受けている。約793平方mの敷地に主屋、米蔵、漬物蔵が立つ。主屋は切妻造の2階建てで、正面の小庇[こひさし]などに高山の町家の原型を見ることができる。松本家は蝋燭[ろうそく]で財をなした家で、米蔵には当時の商売道具類を展示している。
- 「高山駅」から徒歩15分
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建物の建築年代は文政9年(1826)と推定され、高山市で最も古い町家の1つ。創建以来ほとんど手を入れていない貴重な住宅として国の重要文化財の指定を受けている。約793平方mの敷地に主屋、米蔵、漬物蔵が立つ。主屋は切妻造の2階建てで、正面の小庇[こひさし]などに高山の町家の原型を見ることができる。松本家は蝋燭[ろうそく]で財をなした家で、米蔵には当時の商売道具類を展示している。
関ケ原駅から北西へ延びる街道沿いがかつての主戦場。向かって前方左手が石田方西軍の笹尾山、後方右手が徳川方東軍の桃配山[ももくばりやま]。戦死者を葬った首塚、各武将の陣跡なども点在する。
関ケ原合戦の際、石田三成が陣を布いたのが笹尾山。5分ほどで登ることができる山頂からは、関ケ原が一望できる。
江戸時代に旅籠を営んでいた建物を用いた無料休憩所。中には畳の広間があり、靴を脱いでひと休みできる。文豪・坪内逍遥や岡本太郎の父で漫画家の岡本一平など、当地ゆかりの人物を紹介するパネル展示もあり。
戦国の智将、竹中半兵衛ゆかりの地。豊臣秀吉の軍師として名高い竹中半兵衛の嫡子で、関ケ原合戦にも参戦した重門が築いた陣屋跡。白壁の正門と石垣、堀の一部が残っている。
長良川の源流域にあたるひるがの高原は、水の流れが日本海側と太平洋側とに分かれる分水嶺地点。園内には分水嶺と大きく刻まれた石碑があり、公園内の池から流れ出る水が、一方は庄川から日本海へ、もう一方は長良川から太平洋へ流れていくことが分かる。春にはミズバショウやカタクリの花が咲き、周辺はシラカバ林が繁り散策も楽しめる。大自然と壮大なロマンを感じさせる公園だ。
中山道を江戸板橋宿から数えて45番目の宿場町として栄えた中津川宿は、旅籠だけでも大小29軒を数える大きな宿場だった。現在、本町にある本陣跡地には、石碑が残されている。周辺には古い家屋も立ち並び、卯建[うだつ]のある家なども見ることができる。
昭和11年(1936)建築。平成6年(1994)まで利用されていた、八幡町役場(国登録有形文化財)の建物を改装。レトロな洋風建築の内部には、観光アドバイスをしてくれるインフォメーションや無料休憩サロンやけいちゃん定食、明方ハムステーキ定食など、地元食材を使った料理が楽しめる食事処と特産品販売コーナーもある。
明治23年(1890)に5代目当主が建て替えた合掌造り民家。白川郷でも最大級の5階建てで、大きな屋根の勾配の上から下までを貫く約11mの一本柱をはじめ、合掌柱には樹齢150~200年の檜や樹齢300年を超えるトチやケヤキなどが使われている。初代から3代目まで漢方医をしていたことから、江戸時代の薬箱や秤、美術品や什器なども展示しており、1階にある壮麗な造りの仏壇が印象的だ。養蚕の作業場だった3・4階では生活用品などを展示。
明治39年(1906)に明智町庁舎として建てられた木造の洋館で、昭和32年(1957)まで町役場として使用。現在2階には、日本大正村に関する写真が展示され、村長の執務室も設けられている。1階は休憩所として開放されており、座敷で自由にお茶を飲むことができる。役場内の公衆電話も大正風。所要10分。
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