
白川郷
平成7年(1995)、ユネスコの世界文化遺産に登録された白川郷荻町合掌集落。里山に114棟の合掌造り家屋が残り、茅葺き屋根など日本の原風景に出会える。新緑、紅葉と季節ごとに異なる表情をみせる。
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平成7年(1995)、ユネスコの世界文化遺産に登録された白川郷荻町合掌集落。里山に114棟の合掌造り家屋が残り、茅葺き屋根など日本の原風景に出会える。新緑、紅葉と季節ごとに異なる表情をみせる。
天正16年(1588)、金森長近がこの地に築城して城下町を開き、107年間にわたって支配。6代目の頼時が出羽国(現在の山形県)に転封となり、元禄8年(1695)に取り壊された。当時全国でも有数の規模を誇る山城だったが、今は2万平方メートルの敷地に三の丸堀、二の丸石垣、天守閣跡が昔の面影を残している。園内の広場からは市街の眺め、金竜ケ丘からは乗鞍岳など北アルプスの眺望がすばらしい。春は桜、秋は紅葉の名所で、遊歩道を散歩しながら森林浴やバードウォッチングも楽しめる。
大きな米倉7棟の中に、七福神など一木造りの巨大な木像を一体ずつ安置している展示館。樹齢1200年のケヤキを彫り抜いた全高7.5mの毘沙門天[びしゃもんてん]、樹齢1000年の杉を彫って造られた、全高6.5mの福禄寿など、どれも圧倒される迫力だ。ギネスブック認定。
戦国時代に江島氏が築城したと伝わる。元和元年(1615)、幕府の一国一城令によって閉城した。現在の城は、昭和45(1970)に福井の丸岡城を模し建築されたもの。城内では鎧や馬具などを展示している。
関ケ原駅から北西へ延びる街道沿いがかつての主戦場。向かって前方左手が石田方西軍の笹尾山、後方右手が徳川方東軍の桃配山[ももくばりやま]。戦死者を葬った首塚、各武将の陣跡なども点在する。
本能寺の変で有名な明智光秀が出生から約30年を過ごしたと言われる明智城跡。散策路もあるので歴史ロマンを胸に散歩してみよう。
昭和11年(1936)建築。平成6年(1994)まで利用されていた、八幡町役場(国登録有形文化財)の建物を改装。レトロな洋風建築の内部には、観光アドバイスをしてくれるインフォメーションや無料休憩サロンやけいちゃん定食、明方ハムステーキ定食など、地元食材を使った料理が楽しめる食事処と特産品販売コーナーもある。
5基の古墳が見られる古墳広場や、縄文から古墳時代の復元住居が立つ古代集落の里がある公園。熊野神社本殿へ続く遊歩道や多目的広場などで散策も楽しめる。赤保木遺跡・古墳から出土した考古資料や民具を展示する学習センターあり。丘の上からの高山市街や周辺の眺望もすばらしい。
平成21年(2009)、岐阜市制120周年を記念してJR岐阜駅前広場に登場。信長は「井口」と呼ばれていた当地を「岐阜」と改名し、天正4年(1576)まで約10年間岐阜を本拠地に「天下布武」を目指して戦いを続け勢力を拡大する一方、「楽市楽座令」など先進的な政策や制度でまちを発展させた。高さ約8mの台座にある約3mの黄金の織田信長公像は、市民の寄付で作られ表面は金箔3層張り。火縄銃と西洋兜を手に、マントを羽織った凛々しい姿が眩しい。
かつては船宿が立ち並び、多くの物資や人が桑名と大垣を往来した水門川の港跡。俳人・松尾芭蕉が奥の細道の旅を終えたむすびの地としても知られ、「蛤のふたみに別行秋ぞ」と詠み、ここから桑名へ下ったとされる。現在も当時の面影が静かに残る。松尾芭蕉が紀行文学『奥の細道』で表現した景観美を継承しつつ、往時の遺風を伝える場所として、その鑑賞上の価値が高いことから「おくのほそ道の風景地大垣船町川湊」として平成26年(2014)に国の名勝に指定された。
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