穴太衆積みの石垣
延暦寺と日吉大社の門前として栄えた坂本は、古い民家や神社の石塀などに巧みに積み上げられた石垣が見られる。これを「穴太衆積み」といい、坂本地域に住んだ、比叡山の土木と修繕作業などを行っていた「穴太衆」という石工集団の技によって生まれた技法だ。加工を施さない自然のままの石の面を使い、自然の美しさと堅固さを今も保っている。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
- 「坂本比叡山口駅」から徒歩11分/「松ノ馬場駅」から徒歩16分
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延暦寺と日吉大社の門前として栄えた坂本は、古い民家や神社の石塀などに巧みに積み上げられた石垣が見られる。これを「穴太衆積み」といい、坂本地域に住んだ、比叡山の土木と修繕作業などを行っていた「穴太衆」という石工集団の技によって生まれた技法だ。加工を施さない自然のままの石の面を使い、自然の美しさと堅固さを今も保っている。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
静寂な比叡山南麓にたたずむ寺跡で、天智天皇が大津京鎮護のため建立したと伝えられている。現在残る礎石などから金堂、講堂、三重塔などが立ち並ぶ大寺院だったことがうかがえる。境内からは、仏舎利を納める舎利容器(国宝、近江神宮所蔵、現在京都国立博物館に寄託中)が出土している。
甲賀流忍者甲賀五十三家の筆頭格「望月出雲守」の住居として元禄年間に建てられた建物。忍者自身のからくりのある住居として、日本で唯一現存する歴史的に価値のある本物の忍術屋敷。内部には、人間心理をうまくついたからくりが多く施され、甲賀忍術の奥義を記した甲賀流伝書、手裏剣等、さまざまな武器道具類が展示されている。戦乱の世に実在した忍者たち、その真の世界を本物の忍術屋敷で体感してみよう。からくりをあやつったり、鉄製の手裏剣投げどの忍者体験もできる。
昭和5年(1930)の建築。平成13年(2001)に廃校になったが、アニメ『中二病でも恋したい』に登場する高校のモデルになった学校で、多くのドラマや映画の撮影場所になっている。土・日曜、祝日のみ見学可能。
長浜の豪商・浅見又蔵が私財を投じて建てた迎賓館。「慶雲館」の名は初代総理大臣の伊藤博文が名づけたと伝わる。庭は2代目又蔵が慶雲館建設25周年を記念して造園、平安神宮の神苑などを手がけた7代目小川治兵衛作で、国の名勝になっている。毎年1月上旬~3月中旬は長浜盆梅展を開催。
築180年の江戸時代の商家や蔵を改装した観光施設。1~8号館まであり食事処も充実。滋賀観光スポット、体験スポットとして人気。
八幡山を囲むように築かれた堀。琵琶湖水運にも利用されていた。両岸には今でも白壁土蔵や旧家が立ち並び、当時の面影を色濃く残している。重要伝統的建造物群保存地区、重要文化的景観地区に選定。
近江八幡の町は、天正13年(1585)に豊臣秀次が開いた八幡山城の城下町として築かれたのが始まり。八幡堀をはさんだ北側が武士の居住地域、南側は町人の町。町人が住む地域はさらに西が商業地域、東が職人地域に分けられた。現在の新町通りはかつての商業地域。畳表などを扱う豪商の邸宅だった、旧西川家住宅などが公開されている。邸宅には卯建があがり、家並みの塀越しに松がのぞくなど、情緒ある風景が続く。重要伝統的建造物群保存地区に選定。
昭和初期、朝鮮半島や中国大陸などで20数店舗の百貨店を経営し、「百貨店王」と称された三中井一族の本宅。約1000平方mの敷地に木造2階建の本宅や蔵、庭園がある。蔵では小幡人形や全国の土人形を展示している。
石田会館の東側にある石田神社には、三成一族と家臣の供養塔をはじめ、三成自筆の和歌や三成の辞世の碑が立つ。
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