藤樹書院跡
江戸時代の儒学者で、わが国陽明学の祖である中江藤樹[なかえとうじゅ]の居宅・私塾跡(史跡)。正保5年(1648)に建てられたが、明治時代に焼失し、ほどなく再建された書院が残る。
- 「安曇川駅」から徒歩20分
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江戸時代の儒学者で、わが国陽明学の祖である中江藤樹[なかえとうじゅ]の居宅・私塾跡(史跡)。正保5年(1648)に建てられたが、明治時代に焼失し、ほどなく再建された書院が残る。
江戸時代には、「京立ち石部泊り」といわれ、東海道五十三次の宿場町として賑わった石部宿。入口にあたる関所を抜けると、石畳沿いに茅葺屋根の民家や茶店、商家、旅籠などが立ち並ぶ。建物内には、井戸やかまどなど使われていた生活道具も展示され、当時の生活の一端をうかがい知ることができる。街道の歴史を紹介する東海道石部歴史民俗資料館も併設。
近江商人をテーマにした小説を発表し、『草いかだ』が昭和10年(1935)の第1回芥川賞候補として選ばれたほか、池谷賞や野間文芸賞を受賞した外村繁氏の生家。父・吉太郎は生粋の近江商人で、東京の日本橋と高田馬場に呉服木綿問屋を開いて活躍した。家族が生活した母屋や蔵が残る。外村繁の直筆原稿や書簡を展示した外村繁文学館も併設している。
三成が生まれた屋敷跡に立つ石田会館には、三成の生涯を描いた絵巻パネルや関連パネルを展示。前庭には三成の銅像、堀跡とされる治部池などがある。
文政10年(1827)から天保11年(1840)にかけて建築された近江蚊帳の工場を、明治時代に小学校や役場として改築。平成9年(1997)までは図書館としても利用された。館内には昔の近江八幡の文化や暮らしに関する展示もある。
織田信長の居城。安土山に天正4年(1576)に築城を開始し、天正7年(1579)に信長が入城した。外観5層内部7階(地上6階地下1階)の華麗な天主をもっていたとされる城は、本能寺の変の数日後、完成からわずか3年で焼失。現在は、天主台、本丸、二の丸などに石垣が残るのみだが、平成元年(1989)から20年にわたり発掘調査・環境整備が行われ、国の特別史跡に指定されている。登り口から天主跡までは徒歩約30分。
旧彦根藩・井伊家35万石の居城。元和8年(1622)、井伊直継・直孝によって、約20年の歳月をかけ完成。琵琶湖から直接引き込んだ堀をめぐらし、小高い山に立つ。3層3階の天守(国宝)を中心に、長浜城から移築されたといわれる天秤櫓(国指定重要文化財)、城内の合図のための太鼓が置かれていた太鼓門櫓(国指定重要文化財)、近江八景を模したといわれる大名庭園の玄宮楽々園(国指定名勝)などみどころが数多く残る。天守の内部は見学可。最上階からは琵琶湖が一望のもとに見渡せる。
江戸時代に栄えた北国街道周辺に、今なお残る歴史的建造物を利用して構成される複合観光スペース。江戸~明治時代に造られた蔵や商家を生かしたショップ、ギャラリー、レストラン、カフェ、ガラス工房など約22軒が点在している。
天正9年(1581)、信長の命により、イタリア人宣教師オルガンチノが安土城の城下町に創建した日本最初のキリシタン神学校跡。現在では、安土城の外濠沿いに佇む公園として整備されている。
幕末の大老井伊直弼が17歳から32歳までを過ごした屋敷。彦根藩第11代藩主直中の14男として生まれた直弼は、わずか300俵の捨扶持で部屋住の一生を終えるはずだった。埋木舎とは、直弼が花の咲かない埋もれ木と同じ身の上だけれども自分にはなすべき技があるといって名付けた舎号。
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