
首切地蔵
釈迦寺跡に立つ。地蔵と呼ばれているが定印を結ぶ阿弥陀でこの辺の在銘石仏で最古、弘長2年(1262)作。首が切れているわけではなく、首のくびれが深くて切れているように見えるから、また、昔この北方にあった処刑場に置かれていたといわれることから、こう呼ばれる。
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釈迦寺跡に立つ。地蔵と呼ばれているが定印を結ぶ阿弥陀でこの辺の在銘石仏で最古、弘長2年(1262)作。首が切れているわけではなく、首のくびれが深くて切れているように見えるから、また、昔この北方にあった処刑場に置かれていたといわれることから、こう呼ばれる。
笠置へ続く古道の辻にある岩に線刻され、笠置寺本尊の弥勒磨崖仏を模したものと伝わる。目を凝らすと、体を左方に傾けた姿が見える。わらい仏を彫った伊末行文永11年(1274)の作である。
現代では珍しくなった茅葺き屋根の民家が数多く立ち並び、その美観から平成5年(1993)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された美山町地区の集落・北。家屋約50戸のうち39棟が北山型の入母屋造、茅葺き屋根の民家で江戸末期の建築。懐かしい里山の雰囲気が漂う茅葺き屋根の家々は、今も人々が暮らす現役の住居。年に2回行われる一斉放水は一見の価値あり。地区内には茅葺き屋根民家で民宿を営業している家もあり、宿泊するのもまた一興。
中央に地蔵菩薩、向かって左に阿弥陀如来、右に十一面観音という珍しい配置。地蔵菩薩の額には白毫を嵌めた跡が残っている。弘長2年(1262)の作で、当尾の石仏最古。
国指定史跡である丹後国分寺跡は、京都丹後鉄道天橋立駅の対岸にあり、天橋立と阿蘇海を一望できる台地に位置されている。南北朝時代に再建された金堂跡及び塔跡の基壇と礎石計51個、そして中門跡の礎石が残されている。奈良時代の軒瓦が発見されているほかは、寺域をはじめ創建時の様子を知る資料はまだ多くない。雪舟筆天橋立図(16世紀初め頃)に描かれている国分寺は、中世に再建された姿である。
伊根湾を取り囲むようにして、海辺ぎりぎりに立ち並ぶ伝統的な建物。海に直接面した1階は船揚場や作業場、2階は居室や民宿などとして機能的に活用されている。現在、約230軒もの舟屋が建ち並ぶ伊根浦地区は、漁村では全国初となる「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。遊覧船や展望台からの一望もいいが、町並みをゆっくりと散策すると舟屋の生活を間近に感じることができる。
織田信長の家臣・稲葉一族の子孫で、江戸時代~昭和初期にかけて糀の製造業や廻船業で栄えた稲葉家の屋敷を公開している。母屋は12代目が5年の歳月を費やして建てた平入桟瓦葺き切妻造りの2階建ての建物で国登録の有形文化財。13代目の市郎右衛門は私財を投じて旧国鉄の久美浜~豊岡間を開通させたことで知られる。
古来より絹織物の産地だった与謝野町加悦地区には、江戸期から昭和初期の建物が今なお残り、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された「ちりめん街道」がある。その街道沿いに文久3年(1863)に建てられた屋敷。尾藤家は代々大庄屋を務め、生糸ちりめん問屋として、また北前船をもつなどして繁栄した。
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