高梁市武家屋敷・旧埴原家
江戸時代中期から後期にかけて、近習役や番頭役などを務めた武士の住宅。松山城下の武家屋敷としては寺院建築や数寄屋風の要素を取り入れた珍しい造りで、市の重要文化財に指定されている。
- 「備中高梁駅」から徒歩20分
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江戸時代中期から後期にかけて、近習役や番頭役などを務めた武士の住宅。松山城下の武家屋敷としては寺院建築や数寄屋風の要素を取り入れた珍しい造りで、市の重要文化財に指定されている。
江戸末期、銅山とベンガラの原料となるローハの製造で巨万の富を築いた豪商の邸宅。城郭を思わせる立派な構えに当時の繁栄ぶりがうかがえる。2階建ての母屋、3棟の土蔵、桜門、長屋、石垣は文化2年(1810)の建築。庭園には水琴窟もある。映画『八つ墓村』のロケ地になったところとしても有名だ。ベンガラ館から広兼邸へ行く途中には、笹畝坑道[ささうねこうどう]があり、銅山を掘った跡もみることもできる。
国の重要伝統的建造物群保存地区となっている吹屋ふるさと村にある郷土館。明治12年(1879)に建てられた吹屋商人の代表的な屋敷を利用しており、2階建ての妻入り入母屋造りで、塗込造りの壁やベンガラ格子からは宮大工の仕事ぶりがうかがえる。館内では当時の生活史料などを展示している。
閑谷学校の講堂で、元禄14年(1701)の建立。旧閑谷学校の中央に位置し、国宝に指定されている講堂は、入母屋造に錣[しころ]屋根の堂々とした構え。建立当初は茅葺きだったが、その後の改築時に備前焼瓦に葺き替えられた。大きな花頭窓を配し、ケヤキの丸柱で支えられた内室の磨き抜かれた床板は、まさに儒学の殿堂にふさわしい清浄な雰囲気を醸し出している。藩主が使用していた数寄屋造の小斎や教室として使われた習芸斎、飲室、文庫は国指定重要文化財。
高梁の美観地区として、ぜひ訪れたいスポット。高梁川に流れ込む伊賀谷川に沿い、桜と柳の美しい並木が続く。この伊賀谷川はもともと備中松山城の外堀だったもの。橋のたもとには石灯籠や恵比寿神社があり、藩校有終館跡や岡山県下最古の高梁基督教会堂といった見どころも川沿いに多数立ち並ぶ。
成羽町の中心から北へ約15kmにあり、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。江戸時代から明治にかけて銅とベンガラで栄えた町。メインストリートにあたる吹屋街道沿いには、ベンガラ格子と赤銅色の石州瓦が印象的な商家・町屋が約400mにわたって軒を連ねており、周辺には銅山坑道跡などもありみどころが多い。
大正4年(1915)に旧牛窓銀行本店として建設された建物を、現在は文化館として利用。赤レンガの外壁、漆喰白モルタルの内壁など大正期のレトロで美しい建築様式を知ることができる。建物は国の有形文化財として指定されている。
明治時代に建てられた旧牛窓警察署の本館を利用した資料館。江戸時代、牛窓に12回寄港した朝鮮通信使の衣装や、当時の町を描いた絵画などの貴重な資料は朝鮮通信使資料室で。岡山県指定重要有形民俗文化財の船型山車は、だんじり展示室で見られる。所要20分。
毛利氏の戦国武将・清水宗治の居城跡。天正10年(1582)、羽柴(豊臣)秀吉の水攻めで落城した。城跡内には、自害した宗治の首塚と辞世の歌碑が残る。
標高397mの鬼城山[きのじょうざん]の頂上付近に築かれた古代山城の遺跡。百済[くだら]の王子・温羅[うら]の砦だったという伝説があり、昔話『桃太郎』は、吉備の国開拓の祖神とされる吉備津彦命が悪行を重ねていた鬼ノ城に住む温羅を征伐した温羅退治伝説がルーツだと伝えられている。約2.8kmにも及ぶ石垣や土塁の城壁に取り囲まれた約30万平方mの城内には、建物の礎石や鍛冶場跡、溜井(水汲み場)跡などが残り、西門と角楼が復元されている。国指定史跡。
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