
近水園
旧藩主木下家の庭園。近くを流れる足守川の水を引く池泉回遊式庭園で、池畔に京都御所を築く際の残材で建てられた数寄屋造の吟風閣がある。この地ゆかりの歌人・木下利玄の歌碑や、マリア灯籠も。
ジャンル/こだわり条件等を指定して検索できます。
旧藩主木下家の庭園。近くを流れる足守川の水を引く池泉回遊式庭園で、池畔に京都御所を築く際の残材で建てられた数寄屋造の吟風閣がある。この地ゆかりの歌人・木下利玄の歌碑や、マリア灯籠も。
聖武天皇の勅願によって、国分寺と共に建立された尼寺の跡(国指定史跡)。南北225m、東西108mという寺域に、南大門・中門・金堂・講堂の建物が一直線に配置され、アカマツ林の中に20数個の礎石が往時のまま残されている。
藤田家は代々醤油を製造していた商家。この屋敷は江戸時代末期に建てられ、明治以降に本瓦葺き入母屋造の漆喰塗りという豪壮なものに改築された。裕福な商人の暮らしぶりが伝わり興味深い。
市街地北端の臥牛山に築かれた山城で、美濃の岩村城、大和の高取城とともに日本三大山城の一つ。今も山上には堅牢な石垣がそびえ威風堂々たる佇まいだ。天守、二重櫓、土塀の一部が現存し、国の重要文化財に指定されている。現存天守の中で唯一の山城で標高430mにあり、二の丸からは高梁市街の景色を見下ろせる。天守1階には囲炉裏と装束の間が、2階には御社壇がある。天守裏から通じる二重櫓は2層2階建ての構造で高石垣も圧巻。雲海が出る時期は9月下旬~4月上旬の明け方から8時頃まで。特に10月上旬~12月上旬の朝と日中の気温の差が大きい場合に濃い朝霧ができる。
臥牛山麓から南に延びる通りの両側に、武家屋敷の白い土塀が続く武家屋敷通り。明治維新以後150年以上になる現在も、屋敷町としての面影を色濃くとどめている。この町並みと紺屋川筋の美観地区が、石火矢町ふるさと村に指定されている。
昭和46年(1971)までベンガラ製造を続けた片山家(胡屋)の屋敷。銘木をふんだんに用いた座敷や、通り土間に面した店の間、台所などがある2階建ての母屋と、ベンガラ製造の作業場や蔵が、国の重要文化財に指定されている。
江戸末期、銅山とベンガラの原料となるローハの製造で巨万の富を築いた豪商の邸宅。城郭を思わせる立派な構えに当時の繁栄ぶりがうかがえる。2階建ての母屋、3棟の土蔵、桜門、長屋、石垣は文化2年(1810)の建築。庭園には水琴窟もある。映画『八つ墓村』のロケ地になったところとしても有名だ。ベンガラ館から広兼邸へ行く途中には、笹畝坑道[ささうねこうどう]があり、銅山を掘った跡もみることもできる。
成羽町の中心から北へ約15kmにあり、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。江戸時代から明治にかけて銅とベンガラで栄えた町。メインストリートにあたる吹屋街道沿いには、ベンガラ格子と赤銅色の石州瓦が印象的な商家・町屋が約400mにわたって軒を連ねており、周辺には銅山坑道跡などもありみどころが多い。
高梁の美観地区として、ぜひ訪れたいスポット。高梁川に流れ込む伊賀谷川に沿い、桜と柳の美しい並木が続く。この伊賀谷川はもともと備中松山城の外堀だったもの。橋のたもとには石灯籠や恵比寿神社があり、藩校有終館跡や岡山県下最古の高梁基督教会堂といった見どころも川沿いに多数立ち並ぶ。
明治40年(1970)に建てられ、平成2年(1990)まで使用されていた。迎賓館を思わせる明治のモダンな小学校舎。豪奢な洋風建築は檜材の格天井、幅広の回り階段など宮大工による丁寧な造り。
運行情報はありません。
路線が登録されていません。
路線登録で登録した路線の運行情報が表示されます。
路線を登録すると、登録した路線の運行情報が右サイドで表示される機能です。
トップページ、電車関連ページで表示されます。
エリアを登録すると、登録したエリアの天気情報が表示されます。