城西浪漫館
大正6年(1917)建築の木造2階建て(延べ250平方m)。正面にドームを配し、屋根・窓の細かい装飾が特徴で、部屋ごとに異なる材質の大理石を使った暖炉がある。岡山県近代化遺産・平成22年(2010)に国の登録有形文化財となる。歴史ある空間のカフェで榕菴コーヒー620円~など、地元特産品をどうぞ。
- 「津山駅」から徒歩20分/「津山口駅」から徒歩24分
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大正6年(1917)建築の木造2階建て(延べ250平方m)。正面にドームを配し、屋根・窓の細かい装飾が特徴で、部屋ごとに異なる材質の大理石を使った暖炉がある。岡山県近代化遺産・平成22年(2010)に国の登録有形文化財となる。歴史ある空間のカフェで榕菴コーヒー620円~など、地元特産品をどうぞ。
標高508mの熊山山頂にある、マヤ遺跡のピラミッドを思わせるなぞの石積み。幾何学的構図をもち、岩盤を取り入れた基段の上に、三段の石積が築成されている。特徴は二段目の各面の中央に龕[がん]が設けられている点だ。築成は奈良時代で、石積の材質は流紋岩。熊山駅から徒歩2時間のハイキングコースもある。
江戸時代の地割をよく残し、それをもとに近代に発展した商家町を中心とする伝統的建造物が出雲往来沿いに連担して濃密に残っている。また津山城下町最大級の寺院集積地でもあり、さまざまな宗派の寺院が集まっていて、17世紀初期から近現代までの各時代の建築様式が残っている。津山城跡の西側に位置し、令和2年(2020)12月、津山市内では城東地区に次いで重要伝統的建造物群保存地区に選定された。一自治体に2カ所の重伝建地区を有するのは全国で15番目。
臥牛山麓から南に延びる通りの両側に、武家屋敷の白い土塀が続く武家屋敷通り。明治維新以後150年以上になる現在も、屋敷町としての面影を色濃くとどめている。この町並みと紺屋川筋の美観地区が、石火矢町ふるさと村に指定されている。
武蔵の里にあり、武蔵が少年期を過ごしたところ。昭和時代に焼失し、昭和17年(1942)に現在の瓦葺の建物となる。隣接するかやぶき屋根の平尾家は武蔵の姉おぎんの次男が住み、武蔵家を相続したという。ともに見学は外観のみ。
保存地区は駅の北側、城山・太鼓山を背に広がる。高田神社、化生寺といった寺社群をはじめ郷土資料館、武家屋敷館、大正時代末頃まで鉄や農産物の輸送に使われていた高瀬舟の発着場跡などとみどころが多い。民家の軒先に下げられた草木染めのれんが風情を感じさせる。第二次大戦中疎開してきた文豪・谷崎潤一郎もこの地を愛した。特産品に高田硯や銀沫(ぎんしぶき)などがある。
慶長2年(1597)頃、宇喜多秀家[うきたひでいえ]により天守完成。小早川秀秋を経て、江戸時代には池田家が治める。土台が不等辺5角形の天守は、戦災で焼失したが、外壁が漆黒の下見板だったといわれ、烏城[うじょう]の別名を持つ。昭和41年(1966)に再建。月見櫓と西の丸西手櫓は現存していて国の重要文化財になっている。
標高397mの鬼城山[きのじょうざん]の頂上付近に築かれた古代山城の遺跡。百済[くだら]の王子・温羅[うら]の砦だったという伝説があり、昔話『桃太郎』は、吉備の国開拓の祖神とされる吉備津彦命が悪行を重ねていた鬼ノ城に住む温羅を征伐した温羅退治伝説がルーツだと伝えられている。約2.8kmにも及ぶ石垣や土塁の城壁に取り囲まれた約30万平方mの城内には、建物の礎石や鍛冶場跡、溜井(水汲み場)跡などが残り、西門と角楼が復元されている。国指定史跡。
高梁の美観地区として、ぜひ訪れたいスポット。高梁川に流れ込む伊賀谷川に沿い、桜と柳の美しい並木が続く。この伊賀谷川はもともと備中松山城の外堀だったもの。橋のたもとには石灯籠や恵比寿神社があり、藩校有終館跡や岡山県下最古の高梁基督教会堂といった見どころも川沿いに多数立ち並ぶ。
津山城跡の東を流れる宮川から東にかけての旧出雲街道周辺の古い町並みが、重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、なまこ壁、防火用の袖壁のある家が軒を並べている。敵が侵入してきた時に行き止まりと思わせて欺くために整備された鍵型に折れて続く道沿いには、作州城東屋敷、箕作阮甫旧宅の史跡や城東むかし町家などのみどころがある。また、映画『男はつらいよ』をはじめ、ロケ地としても知られる。
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