
石山寺
天平19年(747)に良弁[ろうべん]僧正が開いた名刹。硅灰石[けいかいせき](天然記念物)が露出した境内には、本尊の如意輪観世音菩薩(秘仏・重要文化財)を安置する本堂(国宝)、建久5年(1194)に源頼朝が寄進した多宝塔(国宝)、桃山時代に再建された入母屋造の東大門(重要文化財)などの堂宇が並ぶ。本堂には紫式部が『源氏物語』を起筆したという源氏の間がある。
- 「石山寺駅」から徒歩13分/「唐橋前駅」から徒歩25分
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天平19年(747)に良弁[ろうべん]僧正が開いた名刹。硅灰石[けいかいせき](天然記念物)が露出した境内には、本尊の如意輪観世音菩薩(秘仏・重要文化財)を安置する本堂(国宝)、建久5年(1194)に源頼朝が寄進した多宝塔(国宝)、桃山時代に再建された入母屋造の東大門(重要文化財)などの堂宇が並ぶ。本堂には紫式部が『源氏物語』を起筆したという源氏の間がある。
金堂に接して立つ覆屋で、ここに湧く井泉は古来より閼伽水として金堂弥勒にお供えされる霊泉。天智・天武・持統の三帝の産湯にも使われたというこの泉には九頭一身の龍神が住み、年に十日、夜丑の刻に姿を現わし金堂弥勒に金の御器で水花を供えるため、その日は何人も近づくことが禁じられていたという。
源義経の軍勢に敗れ、この地で討死にした木曽義仲[きそよしなか]を弔うために、義仲の側室だった巴御前[ともえごぜん]が建てた草庵が始まりという。松尾芭蕉がたびたび滞在したことでも知られ、芭蕉と義仲の墓が並んで立つ。境内(史跡)には芭蕉の句碑もある。
『これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関』という百人一首の作者で、琵琶の名手として知られる平安時代の歌人・蝉丸を祀る。蝉丸が逢坂山に隠棲していたという伝説にちなんで建てられ、この下社のほか上社が近くにある。境内入口には関の清水跡、本殿横に鎌倉時代の時雨[しぐれ]灯籠と呼ばれる石灯籠(重要文化財)がたたずむ。上社の南西、国道1号北側には逢坂山関跡がある。
延暦寺西塔の中心となる堂。最澄自作と伝わる本尊釈迦如来を安置することから、一般に釈迦堂の名で呼ばれる。信長の焼き討ち後の文禄4年(1595)、豊臣秀吉により近江の園城寺(三井寺)の金堂が移築されたもの。鎌倉時代の建築で、山内では最古の建物。
滋賀県と京都府の境にある岩間山嶺上にあり、養老6年(722)に元正天皇の勅命により泰澄大師によって開かれた。境内には日本随一の桂の大樹郡があり、特に「長寿桂」は樹姿・大きさともに圧巻。本尊は、「汗かき観音」「雷除観音」「ぼけ封じ厄除観音」として親しまれている。西国三十三所十二番札所。
上坂本・下坂本・葛川の寺領を有する延暦寺に仕え、行政に携わった山門公人衆。この公人衆が江戸時代に住んだ屋敷を見学できる。主屋は表門や米蔵などのある大型民家。大津市指定文化財に登録。
元禄3年(1690)、芭蕉が約4カ月間を過ごした庵。俳文の傑作『幻住庵の記[げんじゅうあんのき]』は、芭蕉が湖南を見下ろす国分山山中に位置するこの庵で書いたもの。現在、近津尾[ちかつお]神社境内の庵跡地には平成3年(1991)に再建された庵と句碑が残る。
延暦寺東塔にあり、昭和38年(1963)に坂本の讃仏堂を移築したもので、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮ら比叡山で修行し、各宗の開祖となった僧の等身大の木像を安置する。
天台宗の総本山。東塔・西塔・横川に、約150余りの堂塔が点在する。延暦7年(788)に伝教大師最澄[でんぎょうだいしさいちょう]が小堂を建て、一乗止観院[いちじょうしかんいん]と称したのが始まり。国宝・重文も多数所蔵し、平成6年(1994)、世界文化遺産に登録された。国宝根本中堂は平成28年(2016)から令和9年(2027)に亘る大改修を行っている。ただし、改修中も堂内拝観は可能。世界文化遺産登録30周年記念御本尊御開扉、令和6年(2024)9月14日~12月8日、ほかイベントあり。
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