
大本山 圓満院(総本山 圓満院門跡)
園城寺山門の北側、白壁に囲まれて立つ皇室ゆかりの門跡寺院。寛和3年(987)に、村上天皇の皇子・悟円[ごえん]法親王が開いたと伝えられる。境内には書院造の宸殿[しんでん](重要文化財)や、「三井の名庭」と呼ばれる池泉観賞式の庭園(史跡・名勝)、円山応挙の作品などを展示した大津絵美術館がある。宿院では精進料理3780円~、会席5400円~が味わえ、宿泊もできる。1泊2食14800円。
- 「大津市役所前駅」から徒歩8分/「三井寺駅」から徒歩10分
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園城寺山門の北側、白壁に囲まれて立つ皇室ゆかりの門跡寺院。寛和3年(987)に、村上天皇の皇子・悟円[ごえん]法親王が開いたと伝えられる。境内には書院造の宸殿[しんでん](重要文化財)や、「三井の名庭」と呼ばれる池泉観賞式の庭園(史跡・名勝)、円山応挙の作品などを展示した大津絵美術館がある。宿院では精進料理3780円~、会席5400円~が味わえ、宿泊もできる。1泊2食14800円。
朱鳥元年(686)創建、1300年以上の歴史をもつ湖国を代表する名刹。正式には長等山園城寺と呼ばれ、当寺を建立したと伝えられる大友与多王は、壬申の乱で近江朝を率いて敗れた大友皇子(弘文天皇)の皇子にあたる。度重なる戦火に見舞われ焼失したが、徳川家康や豊臣秀吉の正室である北政所などにより復興された。本尊弥勒菩薩像を安置する金堂(国宝)をはじめ、家康が移築した入母屋造の仁王門(重要文化財)や三重塔(重要文化財)、天正年間に建立された釈迦堂(重要文化財)など見所は多い。
最澄が開基した、延暦寺の中心地区。法華総持院東塔は仏教大師により計画され、貞観4年(862)、慈覚大師円仁によって創建された天台密教の根本道場。信長の焼討後400年、昭和62年(1987)に復元再建された。東塔・潅頂堂・寂光堂を総称して法華総持院という。根本中堂(国宝)をはじめ、戒壇院(重要文化財)、大講堂(重要文化財)、國寶殿、延暦寺会館などがある。所要1時間30分。法華総持院東塔堂内は非公開。
延暦寺開祖である伝教大師最澄の廟所で、山内第一の聖域。古木に包まれたあたりは静寂が支配し、厳粛な気持ちにさせられる。堂内は非公開。
延暦寺東塔にあり、昭和38年(1963)に坂本の讃仏堂を移築したもので、法然、親鸞、栄西、道元、日蓮ら比叡山で修行し、各宗の開祖となった僧の等身大の木像を安置する。
元禄3年(1690)、芭蕉が約4カ月間を過ごした庵。俳文の傑作『幻住庵の記[げんじゅうあんのき]』は、芭蕉が湖南を見下ろす国分山山中に位置するこの庵で書いたもの。現在、近津尾[ちかつお]神社境内の庵跡地には平成3年(1991)に再建された庵と句碑が残る。
琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川の鹿跳渓谷にある立木観音。1200年前、弘法大師が42歳の厄年に山に光る霊木を見つけられ、立木のまま師の背丈に合わせて聖観世音菩薩を刻み開基された。以来、立木観音は老若男女問わず、厄除け、心願成就、病気平癒、家内安全等あらゆる災いから譲ってくれる霊験あらたかな観音様として「たちきさん」と呼ばれ、広く信仰を集めている。境内まで、石段が約800段続く。
延暦寺西塔の見どころの一つ。宝形造の2つの建物は渡り廊下でつながって並び立っており、「弁慶のにない堂」と呼ばれる。力持ちの弁慶が、この渡り廊下を天秤棒にして2つの堂を担いだとの伝説による。このお堂では90日間におよぶ修行が行われる。堂内は非公開。
比叡山延暦寺中興の祖・元三大師良源の住居跡と伝わる。康保4年(967)、村上天皇の勅命で四季に法華経が講義されたことから、四季講堂と呼ばれるようになった。現在は元三大師像を本尊としており、「横川のお大師さん」と親しまれる。
元和元年(1615)、天海僧正が建立。天台座主の御座所だったことから、滋賀院御殿とも呼ばれていた門跡寺院。高い石垣と白壁が特徴で、約2万平方mの敷地内には宸殿[しんでん]、書院、庫裡[くり]などが並んでいる。宸殿の西側には、小堀遠州の作庭と伝えられる池泉観賞式庭園がある。桃山時代の金碧画『桜之図』をはじめ、渡辺了慶の障壁画など貴重な文化財も所有。
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