
同聚院
東福寺の境内に立つ。「じゅうまん不動」と呼ばれ、火除け信仰がある。五大堂に安置されている本尊の平安時代の不動明王像。
- 「東福寺駅」から徒歩7分/「鳥羽街道駅」から徒歩11分
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東福寺の境内に立つ。「じゅうまん不動」と呼ばれ、火除け信仰がある。五大堂に安置されている本尊の平安時代の不動明王像。
平安遷都以前から祀られている古社。勝運のご利益があるといわれる。5月5日の藤森祭に行われる駈馬[かけうま]神事は、勇壮で多くの参拝者が訪れる。近年は馬の社として有名で、騎手をはじめ、競馬関係者や競馬ファンの参拝も多い。
全国で約3万社を超える稲荷神社の総本宮。商売繁昌、五穀豊穣の神として有名。二の鳥居をくぐると、天正17年(1589)に豊臣秀吉が寄進した朱塗りの楼門(重要文化財)がある。本殿(重要文化財)は、明応8年(1499)再興し檜皮葺き。本殿背後にある鳥居のトンネルをくぐれば奥社奉拝所。稲荷山への登り口である。高さ233mの山には、至る所にお塚があり、それを巡拝する「お山めぐり」は約4km、2時間ほどかかる。
元政[げんせい]上人が明暦元年(1655)に庵を結んだのが始まり。本堂は質素な茅葺き。元政は、もとは彦根藩の侍だったが、病弱のため26歳で出家、清貧の中で暮らし、寛文7年(1667)に母が87歳で他界した2カ月後、急逝した。
世界遺産、醍醐寺総門を入ってすぐ左手に立つ。桃山時代の華麗な障壁画などで彩られた葵の間(重要文化財)や秋草の間(重要文化財)、勅使の間(重要文化財)を通り表書院(国宝)に続く。表書院からは秀吉が「醍醐の花見」の際に自ら設計したという庭園(特別名勝・特別史跡)を眺められる。聚楽第から移した藤戸石などの石組みと刈り込みが美しく、桃山時代を代表する庭園だ。三宝院南側に霊宝館があり、薬師堂の薬師如来像(国宝)などの寺宝を収蔵する。
方除[ほうよけ]の大社と仰がれる。独特の優美な姿を見せる本殿を取り巻くように神苑楽水苑が広がっている。『源氏物語』ゆかりの草木80余種をはじめ多くの植物が四季を彩り、「源氏物語花の庭」と呼ばれる。早春のしだれ梅、秋の紅葉は美しい。「曲水の宴」(観覧は事前申込制)は、平安の雅を今に伝える行事として有名である。
ゆるい斜面に造られた庭は重森三玲の手による枯山水で、波心庭と呼ばれる。白砂と緑の苔が織り成す優美な曲線がなんとも魅力的。石柱は光明を表し、別名「虹の苔寺」ともいわれる美しい寺院。
金堂(国宝)や五重塔(国宝)など多くの堂宇が建ち並ぶ。金堂は正面7間、側面5間、入母屋造の建築。紀州湯浅の満願寺本堂を移したもので、平安末期の様式を残している。高さ約38mの五重塔は、醍醐天皇の菩提を弔うため天暦5年(951)に完成。現存する京都府下最古の木造建造物として知られる。
東福寺の塔頭であり筆の寺として知られる。毎年11月23日には、筆塚前で使い古した筆記具を護摩木にくべて感謝する、筆供養が行われる。
泉涌寺総門の左手にある。一千年の祈りを今に伝える阿弥陀如来二十五菩薩お練り供養大法会は、現世に極楽浄土の絵巻物を彷彿とさせる京洛の秋の行事として広く知られている。また本尊の阿弥陀如来と共に国の重要文化財に指定される二十五菩薩坐像は、二十五菩薩が揃っての立体的仏像彫刻としては日本唯一の貴重な文化財。本堂右奥の小さな堂には、源平の戦いで有名な那須与一[なすのよいち]のものとされる墓もある。
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