
妙蓮寺
永仁2年(1294)に創建された本門法華宗の大本山。天明の大火で焼け残った鐘楼は数少ない本格的袴腰型鐘楼で、江戸時代を代表する建造物だ。「十六羅漢の庭」と呼ばれる石庭もある。松尾一切経や長谷川等伯一派の襖絵の見学は要予約。本阿弥光悦の書などの寺宝は特別展(不定期)にのみ展示している。
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永仁2年(1294)に創建された本門法華宗の大本山。天明の大火で焼け残った鐘楼は数少ない本格的袴腰型鐘楼で、江戸時代を代表する建造物だ。「十六羅漢の庭」と呼ばれる石庭もある。松尾一切経や長谷川等伯一派の襖絵の見学は要予約。本阿弥光悦の書などの寺宝は特別展(不定期)にのみ展示している。
2カ所ある展望台からは京都市街を一望できる。桓武天皇平安京造営時に都の安泰を念じて将軍の像を埋めた大きな将軍塚があり、庭園は桜や桃が咲き乱れ、秋は紅葉が真紅に染まる。
白河上皇ゆかりの門跡寺院。寛治4年(1090)、白河上皇が熊野三山に参詣した際、先達を務めた増誉[ぞうよ]僧正に与えた寺で、全国の修験者を統括したのが起こり。その後、後白河天皇の皇子が4世として入って以来、門跡寺院となった。宸殿、本堂、書院(重要文化財)など現在の建物は延宝年間(1673~81)の建築。天明・安政の京都御所の火災の際、光格・孝明天皇が仮皇居としたことから史跡に指定。狩野派絵師による170面以上の障壁画や当時の上段の間、御学問所、茶室も残る。拝観は秋の特別公開期間。申し込み不要。
貞観11年(869)に、縁結びの神を祀ったのがはじまりとされる。2月の節分祭では、懸想文売りが、昔のラブレターである懸想文を参拝者に授与する(1000円)。
疫病鎮めの神様として知られる。平安遷都後に疫病が流行したため、朝廷は神輿を船岡山に安置して疫神鎮静を図り、長保3年(1001)にはこの地に神殿を造営し新しい社との意味で今宮と号した。現社殿は明治時代の再建。毎年4月第2日曜には、疫神社の疫神を鎮める「やすらい祭」が営まれる。鬼を従えた行列が「やすらい花や」と囃しながら踊る。行列の中心は季節の花で飾られた風流傘、この傘の下に入れば1年間病気をしないといわれる。
新撰組の墓所。墓参りのみ入ることができる。光縁寺の山門の瓦に「丸に右離れ三つ葉立葵」の寺紋があり、山南家の家紋と同じであった。また光縁寺の門前近くに新撰組の馬小屋があり、毎日、新撰組の隊士達が往来する中で、当時の住職と新撰組総長山南敬介との出会いがあり、その縁で屯所で切腹した隊士達、三人目には山南自身、その後多くの新撰組関係者(20数名)が良誉上人に弔われ、光縁寺に埋葬されることになった。
明治18年(1885)創建。明治維新に功績のあった、三條実万[さねつむ]・実美[さねとみ]親子が祭神。萩の名所としても名高く、参道や境内に萩が咲き乱れる9月中~下旬には萩まつりが催される。境内には上田秋成と湯川秀樹の歌碑、有名な京都三名水の一つ「染井」もある。
延暦13年(794)、平安京の方位守護のために創建。方位を司る星神大将軍始め暦神八神を祀っている。御神像80体は国重要文化財。古天文暦資料は京都府指定文化財。
明治28年(1895)に平安遷都1100年を記念して創建された神社で桓武天皇と孝明天皇を祀る。社殿は平安京の正庁である朝堂院を約8分の5に縮小して復元されたもの。朱塗りの社殿に境内の白砂が映え、平安京の雅な雰囲気が漂う。本殿を取り囲むように広がる約3万平方mにおよぶ回遊式庭園である神苑は、春の紅しだれ桜や初夏の花ショウブなど、四季折々に美しい景色が広がる。毎年10月22日の時代祭は平安神宮の祭礼で京都三大祭の一つ。
病気平癒、健康長寿、縁結びや安産の神様として信仰を集める。境内の狛ねずみは、大国主命をねずみが救ったという神話にちなんでいる。他に狛猿、狛鳶に加え、奉納狛巳が出迎えてくれる。境内には椿、梅、桜、紫陽花、その他四季折々の山野草が咲き、楽しむことができる。
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